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社説・コラム

社説 安倍首相と被爆地 「言行一致」を求めたい

 「皆さんが負った傷は癒えることはない。原爆の非道な結果を決して風化させてはならない」。安倍晋三首相は訪問した原爆養護ホームの入所者に語りかけた。まさにその通りだ。

 自公政権が復活してから初めての原爆の日。6年ぶりに首相として平和記念式典に臨んだ安倍氏の口から繰り返し決意が聞かれた。「核兵器のない世界を実現していく責務がある」「核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を惜しまない」。非核三原則の堅持も、あらためて明言した。

 その言やよしである。ただ被爆地の視点に立てば、どこか空々しくも映る。何より現政権には米国の「核の傘」から脱するそぶりがないからだ。

 首相は民主党政権時代に比べて日米同盟に一段と傾斜している。対中戦略などを踏まえたとはいえ、米国が固執する核抑止論にくみする形になろう。

 つまるところ非道な核兵器を「必要悪」とみなす発想につながる。そんな日本政府の姿勢は4月に「核兵器の非人道性に関する共同声明」に賛同しなかったことに如実に表れた。

 米戦略に組み込まれつつある現実に加え、憲法9条改正や集団的自衛権の行使容認に前のめりな姿勢を思うと、核兵器廃絶への本気度も心配になる。

 まず首相は松井一実広島市長が読み上げた平和宣言をしっかり受け止めてもらいたい。

 核兵器を非人道兵器と断じ、「絶対悪」として否定する。そしてヒロシマを「日本国憲法が掲げる平和主義を体現する地」と位置付ける。被爆地の長年の思いが凝縮されたといえる。

 首相が自らの言葉を実行に移すのなら、従来のように核軍縮決議の旗を振るだけでいいわけはない。9月には国連総会で核軍縮に関する初のハイレベル会合も開かれる。平和宣言でも求められたように廃絶を求める国々と連携し、核兵器禁止条約の交渉入りに正面から取り組むべき段階ではなかろうか。

 被爆者の傷が癒えていない。そう考えるなら援護策の充実を図るのも当然であろう。

 きのう首相は原爆症認定をめぐり、制度見直しの結論を年内に出すよう厚生労働省に指示した。申請の半数近くが却下される現状が改善されるなら喜ばしいが、日本被団協などが求める抜本的な救済策との落差をどう埋めるかは見通せない。

 「黒い雨」の範囲拡大の方には国が消極的なのも気掛かりだ。これまで以上に被爆地に寄り添う姿勢が求められよう。

 フクシマのことを忘れてはならない。過去2年、民主党の2人の首相は式典あいさつで原発事故や原子力政策に言及したが、安倍首相は触れなかった。再稼働の是非が問われる中で議論を避けたとすれば残念だ。

 松井市長も平和宣言で、そこに踏み込むべきではなかったか。逆に3・11に関わる部分は昨年より減った。核不拡散の視点から日本とインドの原子力協定交渉を疑問視したことはうなずけるが、被爆地として原発をどう考えるかは一段とあいまいになった感もある。

 きのうは福島県から浪江町長らが式典に加わり、被災者を招いた市民集会もあった。収束には程遠い原発事故の風化を恐れる声も聞いた。8・6と3・11を合わせて核時代に警鐘を鳴らす意味は薄れていないはずだ。

(2013年8月7日朝刊掲載)

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