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社説・コラム

社説 長崎原爆の日 平和宣言の重み増した

 核兵器廃絶への理念を訴えながら、行動も促す強いメッセージ。長崎市の平和宣言の特色といえる。特にきのうは例年に増して聞き応えがあった。

 「被爆国としての原点に返ることを求める」と繰り返し、廃絶に向けた動きが鈍い日本政府の姿勢を厳しく批判したからだ。

 憲法9条改正に前向きな政権の現状を考えても、被爆地の思いとずれ始めたといわざるを得ない。長崎が発した言葉を安倍晋三首相はしっかり受け止めてもらいたい。そして広島も憤りを共有すべきだろう。

 就任7年目となる田上富久市長の平和宣言。何よりのポイントは、核をめぐる安倍政権の振る舞いにどんな問題があるかを堂々と論じたことである。

 一つは「いかなる状況においても核兵器を使うべきではない」とする80カ国の共同声明に、米国への遠慮から日本が賛同しなかったことだ。「二度と世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国の原点に反する」ときっぱり断じた。

 もう一つは核拡散防止条約(NPT)に加盟せずに核兵器を持ったインドとの原子力協定交渉の再開についてだ。「NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮の動きを正当化する」と指摘した。広島の平和宣言でも言及した問題ではあるが、より具体的な懸念を浮き彫りにしたことでインパクトは強まった。

 いずれも政府側にとって耳が痛い話だろう。その上で非核三原則の法制化など、被爆国ならではの具体的な行動を求めたからこそ説得力がある。うなずいた人も多いに違いない。

 改憲や集団的自衛権をめぐる議論が加速する中で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」という憲法前文をあえて引用し、戦争の体験を語り継ぐ必要性を強調した意味も重い。

 被爆地入りするわが国のトップに思いを直接伝える。もとより平和宣言の目的の一つだが、ここまで正面から危機感をぶつけたものは最近記憶にない。比較すれば広島の宣言は、おとなしい印象を受ける。

 そんな長崎の宣言にも物足りなさは残る。昨年と違い、「3・11」を踏まえたエネルギー政策の在り方は問わなかった。だが被爆者代表の「平和への誓い」が代わりの役目を果たした。原発事故の収束が見えない中での原発再稼働や輸出を批判し、原発ゼロを政府に求めた。

 厳しい空気の長崎。首相の方も「手ぶら」とはいかなかったのかもしれない。記者会見では原爆症認定申請を却下された8人を救済した大阪地裁判決について控訴しないと表明した。その点はむろん評価したい。

 ただ肝心の核兵器廃絶に取り組む姿勢はどうか。式典あいさつは広島とほぼ同じ。決意は示すが、具体的な道筋となると踏み込み不足は明らかだ。

 だからこそ二つの被爆地からのアピールの重要性は、さらに増していく。とりわけ足元の政府を動かす国内世論をどう高めるのか。被爆70年に向けた発信力の強化が迫られよう。

 長崎の宣言には若者たちへの呼び掛けもあった。「あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代」と。高齢化する被爆者の証言を記録し、語り継ぐ手法の工夫が求められるのは言うまでもない。

(2013年8月10日朝刊掲載)

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