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社説・コラム

『この人』 広島原爆の日に第2回新藤兼人映画祭を企画 御手洗志帆さん

上映こそが最高の追悼

 「敬愛していた映画監督の新藤兼人さん、若松孝二さんが昨年、相次いで亡くなった。監督への最高の追悼は、多くの人に映画を見ていただくことだと思った」

 広島原爆の日に、東京・日比谷で第2回新藤兼人映画祭を開催。新藤監督の「原爆の子」や若松監督の「キャタピラー」、幻といわれた原爆映画「恐るべき遺産 裸の影」などを上映した。

 昨年、たった1人で映画祭を始めた。「尊敬する新藤監督の100歳をお祝いするつもりだった」。監督の根っこは原爆だからと、映画祭を8月6日に設定。春に準備を始めて間もなく、訃報に接した。ひつぎの前で泣き崩れた。1回目は追悼上映になった。

 その頃、「世界で唯一尊敬するのが新藤監督」と話す映画監督に出会った。若松さんだった。2人に共通するのは「戦争を一人の人間の視点から描くことと、撮りたいものを撮る姿勢」。ところが昨年10月、再びの訃報に接した。

 「2人の追悼上映をしたい」と若松プロダクションに日参。熱意が認められ、チラシには俳優の大竹しのぶさんがメッセージを寄せてくれた。映画祭には300人が入場。社会学者の宮台真司さんもトークショーを買って出てくれ、熱気に包まれた。「日比谷と広島がつながった気がした」

 広島市西区出身。小学生の時、被爆体験を聞き「自分がこの思いを抱えなくては」と思ったのが原点。核兵器を持つとどんなむごいことになるか。「それを叫ぶのではなく、映画で伝えようとしたのが新藤さん。その思いを広げたい」。契約社員で働きつつ来夏の構想を膨らませる。東京都豊島区在住。(守田靖)

(2013年8月10日朝刊掲載)

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