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社説・コラム

社説 終戦の日 体験継承「最後の世代」

 あの戦争から68年目の夏。自身の体験を公の場で明らかにしてこなかった女性が、初めて語る催しが福山市であった。

 「校庭一面に焼夷(しょうい)弾が突き刺さっていた」「周囲が焼き尽くされて…」

 空襲の忘れられない恐怖。身近な人を救えなかった自責の念。つらい記憶を胸の奥底に沈め、これまで口を閉ざしてきたのだろう。

 けれど、残りの人生を考え「伝えなければ」と口を開くことを決めたという。そうした思いにしっかり向き合い、体験を受け継ぎたい。

 あの戦争で命を落としたのは、国内で300万人。アジア諸国で2千万人にも及ぶという。すさまじい犠牲者の数に、あらためて胸を突かれる。

 今月9日、長崎市の田上富久市長は平和宣言で「あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代」と、若者たちに呼び掛けた。戦争被害全般についても同じことが言えよう。直接知る人から話を聞く機会は年を追うごとに減っている。

 戦争を知る世代にとっても、高齢化とともに記憶が薄れるケースが多いのが現実である。

 語り継ぎ、受け継ぐ。ともに「最後の世代」であると自覚したい。残された時間は多くなく、その意義は高まっている。

 というのは最近、戦争体験の風化とともに、どこか戦争をフィクションのように捉える風潮が目立つからだ。

 妹尾河童さんの自伝的小説で、映画が現在公開されている「少年H」。日本が悲惨な戦争へと突き進む中、助け合う家族の姿を描く。

 「いい時代だったんですね」。妹尾さんは小説の読者からこう言われて驚き、「とんでもない。あんな時代が二度と来ないように書いたんです」と反論したという。

 戦後生まれは日本の人口の4分の3を超えた。過去を肌身で感じられる人は急速に減りつつある。

 空襲で焼き尽くされた街。焼け跡から立ち上がる人々。かつて各家庭で身近だった過去の戦争が、もはや現実にあったこととしてリアルに感じられない人が増えている。

 多くの尊い命の犠牲の下に、いまの日本の豊かさがあることを私たちはあらためてかみしめなければならない。

 戦争の傷痕を身近に感じられない風潮は、いまの政界にも広がってはいないだろうか。

 安倍政権の下、憲法9条の改正や、集団的自衛権の行使容認への動きが広がりつつある。これまでの「専守防衛」の立場から逸脱するような攻撃的な兵器を保有する議論もある。

 かつての「焼け跡の教訓」とでもいったものが、失われつつあるのではなかろうか。自衛隊の海外派遣について、以前は自らの戦争体験を踏まえて慎重な政治家が保守派の中にもいたはずだ。その体験のない今の多くの政治家は、先輩の意見を入れた議論をしてほしい。

 きょう、終戦の日。あらためて戦争へ至った過去を振り返りたい。忘れず、学び直すことが、平和の礎となるに違いない。

 家庭や地域で、戦争体験者に話を聞こう。今もなお無言の訴えを続ける戦跡を訪ねてみよう。「非戦の誓い」をあらためて心に刻もう。

(2013年8月15日朝刊掲載)

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