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社説・コラム

『論』 戦後補償問題 ヒロシマの中で考える

■論説委員 金崎由美

 1944年から翌年にかけて、日本の植民地下にあった朝鮮半島から「徴用令書」一枚で動員され、日本各地の軍需工場や炭鉱で労働に従事した人たちが多数いた。広島市の旧三菱重工業だけでも、徴用工は江波の造船所、観音の機械製作所を合わせ計2800人に上ったといわれる。

 しかも原爆に遭うことで、二重、三重の苦難を背負わされた。帰国後も被爆者援護の対象から外されたまま、後遺症と闘うことを余儀なくされた人が少なくない。

 その記録を後世に残さねばと市民団体「広島三菱・元徴用工被爆者裁判を支援する会」が出版した写真集の韓国語版が、きょう出来上がるという。韓国独特の含意を持つ「恨」を書名に持つ。

 元の日本語版が出版された3年前、編集に携わった同会事務局長の山田忠文さんが力説していたことを思い出す。「よい日韓関係を築くためにも、負の歴史を次世代に知ってもらいたい」のだと。

 元徴用工の多くがすでに亡くなり、山田さんも昨年71歳で帰らぬ人となった。戦争を記憶し、語れる人は年々少なくなる。そうなればなるほど、記憶を受け継ぐ次世代の責務は重みを増す。

 写真集は、祖国に帰国した46人の元徴用工が戦後、日本政府と企業の責任を追及した裁判記録でもある。

 2007年の最高裁判決は、政府が海外の被爆者を援護の対象から外してきたことに対する国家賠償を初めて認めた。しかし、徴用をめぐる賠償については、1965年の日韓請求権協定によって個人請求権は消滅しているとした一、二審判決を支持した。  ところが最近、これとは正反対の司法判断が韓国で出された。

 元徴用工5人が韓国でも訴訟を起こしていたことに端を発する。釜山高裁の差し戻し審は先月、訴訟を引き継いだ遺族に個人請求権を認め、韓国政府には何らかの力添えをする義務があるとした。

 昨年5月の韓国大法院(最高裁)判決を踏まえており、流れは変わりそうにない。徴用工については韓国政府も解決済みだとしてきたが、「朴槿恵(パク・クネ)政権は判決を尊重するしかない。だが、政府間の合意をさかのぼって覆す国だと国際的にみられることになりかねず、苦慮しそうだ」。韓国政治が専門の浅羽祐樹・山口県立大准教授は指摘する。

 冷え切った日韓関係にとって新たな対立の火種とならないよう、日本の外交力も求められているのだろう。韓国政府の対応を傍観することなく、策を練ることだ。

 だが、元徴用工の過酷な体験が顧みられることがないまま、「やっかいな戦後補償問題」というイメージばかりが広がっているようで、違和感も覚える。

 請求権協定によれば、徴用工をめぐる問題は解決済みとみるのが自然ではある。とはいえ国家間の合意を盾に、被害者の怒りや悲しみの心情まで切り捨てることを当然視する論調が強くなってはいないか。

 日本の植民地下、徴用された上に被爆した体験は過酷である。日本の敗戦とともに徴用を解かれ、帰国途中に玄界灘で遭難した人たちもいる。

 その苦難に寄り添ってきたのは、ほかならぬ被爆地の市民である。三菱重工で徴用工とともに被爆した歌人の故深川宗俊さんらが、70年代から遭難者や行方不明者の調査を粘り強く続けた。これなしに、被爆徴用工の訴訟は不可能だったといっていい。

 戦後補償問題を考えるには、そうした現在までの歴史を知ることから始めるべきではなかろうか。まず原点を確かめることから。

(2013年8月15日朝刊掲載)

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