×

社説・コラム

『書評』 「原爆・平和」出版 この一年 「核」の危険性 多角的に

 2013年夏までの1年間に出版された「原爆・平和」の書籍は、広島や長崎の惨禍、廃虚からの復興の営みを描き、福島第1原発事故で再びあらわになった「核」の危険性を多角的に論じている。また、憲法をめぐる議論が活発になる中、米軍による占領と戦後民主主義がせめぎ合った1950年前後に文学、芸術から平和をつくろうと試みた取り組みを再評価する動きも目立った。=敬称略(渡辺敬子)

未来への伝言

老いる被爆者 体験刻む

 被爆者の高齢化が一段と進む中、次世代を担う子どもたちに体験を継承しようと試みる書籍が相次いだ。

 「はだしのゲン わたしの遺書」(朝日学生新聞社)は、73歳で昨年亡くなった漫画家中沢啓治が自らの歩みを語った。広岩近広「被爆アオギリと生きる 語り部・沼田鈴子の伝言」(岩波書店)は、11年に87歳で逝った沼田の足跡をまとめた新書。由井りょう子「ぼくは満員電車で原爆を浴びた」(小学館)は、11歳で被爆した米澤鉄志への聞き書きを絵本にした。

 「往復書簡 広島・長崎から―戦後民主主義を生きる」(彩流社)は、広島で被爆した関千枝子と、長崎で被爆した狩野美智子が、それぞれの戦後と女としての本音を明かす対話。

 広島市中区出身の作家阿川弘之「鮨(すし)そのほか」(新潮社)は、単行本未収録の小説や随筆を収めた。「『新型爆弾』が焼いた蔵書」の一文は実家にあった書棚の記憶をつづっている。

 同市在住のイラストレーターBOOSUKA(ブースカ)も参加する絵本「せんそうってなんだったの?」(学研教育出版)は、原爆や空襲など戦争体験を語り継ぐ。

 村井さだゆき、はぎわらゆい「紙の王国のキララ」(主婦と生活社)は、折り鶴に希望を託した近未来の冒険物語。広島テレビが公募した手書き文字から生まれた独自フォントには、無数の祈りが込められている。

 「少年口伝隊一九四五」(講談社)は、原爆で発行停止に陥った中国新聞の記者たちが情報を口頭で伝えて回った逸話を基にした井上ひさしの朗読劇を児童書として出版した。

 早川敦子「吉永小百合、オックスフォード大学で原爆詩を読む」(集英社)は、ライフワークで原爆詩の朗読を続け、福島の原発事故に苦しむ人々にも寄り添う吉永の活動を伝える新書。

 浜日出夫ら「被爆者調査を読む」(慶応義塾大学出版会)は、広島と長崎の被爆体験の世代間継承を視野に、研究者らが積み重ねた被爆者調査を再度読み込んだ労作だ。

戦禍からの復興

50年前後の文芸 再評価

 民主主義が広がった半面、朝鮮戦争で米国の対日政策の転換もあった50年前後。そんな復興期に生まれ、埋もれていたサークル誌の復刻、文学や映画、芸術に関する評論の再評価も盛んになった。

 詩人の峠三吉を中心に広島で49年創刊された詩と評論のサークル誌「われらの詩」、広島の学生たちが創刊して全国に広がった文化総合雑誌「希望 エスポワール」。待望の復刻版がそれぞれ三人社から刊行された。

 「増岡敏和全詩集」(コールサック社)は、サークル誌で峠三吉らと活動し、3年前に82歳で亡くなった増岡の詩や評論の集大成。戦後の芸術運動をけん引した三原市出身の佐々木基一の文学や映画に関する評論、小説、随筆など膨大な著作を初めてまとめた「佐々木基一全集」(河出書房新社)は全10巻の大作だ。

 鈴木勝雄ら「実験場1950s」は、東京国立近代美術館が開館60周年の記念展で編んだ論文集。文学や美術、写真、映画の論考から50年代という時代を読み解く。

 「立ち上がるヒロシマ1952」(岩波書店)は、52年の広島の街と人々を写真家名取洋之助と長野重一が撮った写真集。活気を取り戻す商店街や川沿いの住宅で生きる市民の姿が記録されている。

 李明「被爆都市ヒロシマの復興を支えた建築家たち」(宮帯出版社)は、丹下健三や前川国男ら「平和記念都市」の骨格をつくった著名建築家の仕事を支えた地元建築家や建設事務所に光を当てた労作。松隈洋「残すべき建築」(誠文堂新光社)は、原爆資料館など近代建築に込めた設計者の意図や時代背景をひもとく。

 西紀子「続・広島の文学碑めぐり」(溪水社)は、「大田洋子被爆の地」の文学碑など広島県内各地の碑を丁寧に訪ねた。広島大大学院准教授の川口隆行ら「戦争を<読む>」(ひつじ書房)は、林京子や大西巨人たち原爆や特攻、従軍慰安婦を描いた文学を新たな視点から読み説いた。

 「漫画家たちの戦争」(金の星社)は全6巻。手塚治虫、水木しげる、赤塚不二夫、石ノ森章太郎ら日本を代表する漫画家たちが、戦争や原爆の悲劇を描いた作品を出版社の壁を越えて集めた。

核兵器と原子力

戦後の政策 検証相次ぐ

 広島ゆかりの詩人たちが、東日本大震災の被災地へ思いを寄せる詩集も相次いだ。

 御庄博実「川岸の道」(思潮社)は、繰り返される放射能被害への被爆者としての怒りがにじむ。井野口慧子「火の文字」(コールサック社)は、亡くなった者たちへ愛を込めた言葉を紡ぐ。野木京子「明るい日」(思潮社)は、地球という自然の営みと向き合う鎮魂歌のようだ。

 「核の傘」による安全保障と「核の平和利用」と称する原子力発電。両方を求めた被爆国の戦後を検証する出版も続いた。

 共同通信編集委員の太田昌克「秘録」(講談社)は、日米政府が交わした核持ち込みの密約の存在を明らかにしたスクープの舞台裏を記す。

 NHKディレクターの佐々木英基による「核の難民 ビキニ水爆実験『除染』後の現実」(NHK出版)は、核実験場となったマーシャル諸島の歩みと、核の被害に遭いながら原発を推し進めた日本のエネルギー政策を結び、米国の核戦略を浮かび上がらせている。

 加納実紀代「ヒロシマとフクシマのあいだ」(インパクト出版会)は、広島で被爆したジェンダー研究者が、原発を受け入れた被爆国の軌跡をたどる。黒古一夫「文学者の『核・フクシマ論』」(彩流社)は独自の文学評論を展開する。

 「オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史1 2つの世界大戦と原爆投下」(早川書房)は、日本への原爆投下は不要だったとするドキュメンタリー番組を製作した映画監督とアメリカン大准教授ピーター・カズニックの共著。

 広島市立大広島平和研究所准教授ロバート・ジェイコブズ「ドラゴン・テール」(凱風社)は、映画や漫画など米国の大衆文化に登場する核と、その背後にある「安全神話」を読み解く。

 池山重朗「原爆・原発―核絶対否定の理論と運動」(明石書店)は34年ぶりの復刻。核兵器と原発に違いはないとする運動家の立場から核との共存を否定する。

 東浩紀ら「チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド」(ゲンロン)は、市民から出資を募るクラウド・ファンディングの手法で研究者やジャーナリストがチェルノブリを取材し、「観光」という切り口から福島の未来を模索する。今中哲二「低線量放射線被曝(ひばく)―チェルノブイリから福島へ」(岩波書店)は、原子力専門家が被曝のもたらすリスクを語る。

 これまでの論考に新たな視点を示す新書も多い。武田徹「原発論議はなぜ不毛なのか」(中央公論新社)は、「再稼働か、脱原発か」の対立に陥りがちな議論に一石を投じる。有馬哲夫「原発と原爆 『日・米・英』核武装の暗闘」(文芸春秋)は、機密文書から戦後史を浮かび上がらせる。島根大准教授の松元雅和「平和主義とは何か」(中央公論新社)は、説得力ある新しい平和主義の言説を探った。

(2013年8月15日朝刊掲載)

年別アーカイブ