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社説・コラム

社説 8・15首相式辞 加害・不戦なぜ触れぬ

 首相の言葉は重い。しかし、言うべきことを口にしないマイナスもまた重い。

 終戦の日のきのう、全国戦没者追悼式で安倍晋三首相は歴代の首相が式辞に盛り込んできたアジア諸国への加害責任や不戦の誓いに触れなかった。

 在任中の靖国神社参拝に格別の思いを持ちながら、首相がきのう差し控えたのは近隣諸国の神経を逆なでしない配慮だったはずである。中韓との関係修復が優先課題になっている今、穏当な判断だったといえよう。

 とすれば、式辞を「内向き」に戻した姿勢とは食い違う。ふに落ちない国民も多かろう。真意を説明すべきである。

 「この機会に、改めてアジア近隣諸国をはじめ全世界すべての戦争犠牲者とその遺族に対し、国境を越えて謹んで哀悼の意を表する」。追悼式でアジア諸国の犠牲に初めて言い及んだのは、1993年の細川護煕首相だった。

 追悼式の対象はもともと、軍人や軍属約230万人と空襲や広島、長崎への原爆投下、沖縄戦などで犠牲になった民間人約80万人である。

 その一方で、戦前の日本の植民地支配や侵略の結果、アジア諸国における死者は2千万人以上に及んでいる。

 78年にA級戦犯が靖国神社に合祀(ごうし)されて以来、首相の参拝は中国や韓国の反発を買うようになった。戦後処理に片を付ける覚悟の証しが93年の式辞であり、95年に過去の植民地支配や侵略を正面から認めた村山富市首相の談話だった。

 実際、中韓の反応はいったん沈静化する。例年の首相式辞は戦後50年かけ、やっとたどり着いた和解への一つの到達点だった。平和主義の道を歩む日本政府の立ち位置を保証する役割も果たしてきたのである。

 当の安倍首相も第1次政権時の2007年の式辞では「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」「深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表する」などと触れている。

 領土問題などのかつてない摩擦で日本外交の行方が注視されている今、なぜ要らざる疑念を招く式辞を読んだのだろう。違和感が拭えない。

 韓国などが早速反応し、連立与党を組む公明党からも疑問視する声が出ている。

 首相はことし、国会答弁で「侵略の定義は国際的にも定まっていない」と発言。「村山談話」を「そのまま継承しているわけではない」とも明言し、後で官房長官が「安倍内閣も認識は同じ」と弁解に追われた。

 戦後70年を迎える15年には、新たな首相談話で独自カラーを打ち出す構えだという。今回の式辞は布石とも受け取れる。

 とりわけ今回、不戦の決意を明言しなかったことには国民も何か、不気味さを覚えたのではないか。痛くない腹を探られるような物言いは、為政者の取るべきものとは思えない。

 このところ、領土をめぐる摩擦にしても集団的自衛権の解釈変更への動きにしても、代々積み重ねてきた歴史を突き崩すかのような政治の動きが目立つ。

 安倍首相は長期安定政権をめざしているとされる。軌道修正を図るのなら、なおさら歴史の積み重ねを重んじ、民意にも沿ったかじ取りを求めたい。

(2013年8月16日朝刊掲載)

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