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社説・コラム

視点2013 原爆被害の証し 臓器標本を次代へ 

放射線の影響伝える臓器標本 市や国の連携で管理を

広島赤十字・原爆病院など 保存スペース 手狭に

 原爆放射線の人体影響を探る上で、被爆者から提供された臓器や血液は大きな役割を果たした。広島市内の病院や研究機関は、検査や研究を終えた後も大切に保存している。被爆者以外の病理標本が増えるなどし、保存スペースの確保が課題に浮上する。人類初の核兵器被害の証しとして体の一部を残した被爆者。関係機関が連携し、保存に向けた仕組みづくりに知恵を絞るべきではないか。(田中美千子、門脇正樹)

 中区の広島赤十字・原爆病院の解剖棟。約300平方メートルの保存スペースに、1956年以降に解剖や手術で摘出した約7万人分の臓器が収められている。

 うち約1万人分が被爆者の臓器。ホルマリン漬け▽ろうで固めたパラフィンブロック▽顕微鏡用のプレパラート―の三つの方法で保存してきた。

 同病院は2004年、方針を変えた。被爆者ではない患者のホルマリン漬けの臓器に限り、保存期間が15年を過ぎると斎場で火葬する。保存スペースが手狭になったためだ。さらに建て替え計画に伴い、解剖棟は2016年の取り壊しが決定。保存スペースは半分以下となる。

 藤原恵・病理診断科部長は「ホルマリン漬けは半年もすればタンパク質が変化し、遺伝子検査や研究に適さなくなる」と説明する。ただ被爆者の臓器の扱いは「保留」とした。

 金岡峰夫事務部長は「保存することが『原爆病院』として存続してきた務めであり被爆者への礼儀。研究価値の有無にかかわらず保存を続ける策を練る」と医学的見地を超えた取り扱いを強調する。

DB化を目指す

 日米両政府が運営し、被爆者の健康を調査する南区の放射線影響研究所(放影研)は4月、「生物試料センター」を新設した。これまで四つの部に分かれて管理してきた血液や尿を、一元的に管理するための組織だ。

 放影研は60年代から血液、90年代から尿を集め、約80万点を冷凍庫で管理する。臓器標本は、組織片を張り付けたプレパラートなどが中心。47年、米国が設置した前身の原爆傷害調査委員会(ABCC)から引き継いだものが多く、正確な数もつかめていない。

 センターは試料や標本の量、採取した人の放射線量、採取時期などを把握し、データベース(DB)化する。センター長に就いた児玉和紀主席研究員は「劣化を防ぎ、スムーズに放射線影響を研究できる環境にしたい」と意義を強調する。

 課題もある。「あと5年もすれば冷凍庫はいっぱいになる。やはりスペースが足りない」と児玉氏。要員不足も深刻だ。専任職員は2人。DB完成の目標年度は定まらない。

 南区の広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)にも約8千人分の臓器標本などがある。「医学的にも歴史的にも貴重。整理し直したい」(稲葉俊哉所長)とするが、やはり専任職員は2人。手をつけられていない。

2年間で焼却も

 一方、日本赤十字社長崎原爆病院(長崎市)は臓器標本について「保管場所が十分にない」とし、2年間で焼却している。長崎原爆被災者協議会(長崎市)の谷口稜曄(すみてる)会長(84)は「役目が終われば永久に取り置くわけにもいかないだろう」とし、一定の理解を示す。

 広島県被団協(金子一士理事長)の佐久間邦彦副理事長(68)は「『人類のため』『原爆の恐ろしさを伝えるため』という被爆者の思いがこもっている。原発事故の被災者の医療にも役立つかもしれず、もっと大事にしてほしい」。もう一つの県被団協(坪井直理事長)の箕牧(みまき)智之事務局長(71)も「市や県、国が連携し、一元管理する仕組みをつくってほしい」と願う。

(2013年8月23日朝刊掲載)

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