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社説・コラム

社説 原発事故被災者提訴 国の不作為が問われる

 東京電力福島第1原発事故に対応する「子ども・被災者支援法」の成立から1年2カ月がたつ。にもかかわらず、支援法の基本方針を定めないまま放置しているとして、福島県の住民や県外への自主避難者らが、おととい国を相手取り提訴した。

 損害賠償の請求額は1人当たり1円である。国の不作為を問う訴えであることは明白だ。

 支援法には、居住、他地域への移動、帰還を選択する被災者の意思を尊重し、いずれの場合も支援策を講じなければならない―という基本理念がある。福島県から自主避難した住民も対象にした法律であり、「被曝(ひばく)を避けて暮らす権利」を認めたといえよう。妊婦や子どもへの特別な配慮を定めている。

 国の責務も明確にしている。原子力災害から国民の生命や財産を保護する責任、原子力政策を推進してきたことへの社会的責任にほかならない。

 ところが、復興庁に出向してその支援法の担当だったキャリア官僚が、被災地の議会をやゆするなどの「暴言ツイート」問題を起こした。被災者に寄り添うべき役所の姿勢が問われた。

 そもそも民主党政権時代、全党派の共同提案による議員立法として全会一致で採決された法律だ。安倍政権が何もしなくていいという論法は通用しない。

 確かに、一つの「壁」が立ちはだかっていることは分かる。支援対象地域を決めるための放射線量の基準のことだ。

 支援法では「一定の基準以上の放射線量」としか明記されていないが、原告は年間1ミリシーベルトを主張する。この線引き次第で財政負担の規模が大きく変わり、1ミリシーベルトが目安なら8県に及ぶ。

 農産物などの風評被害が、それだけ広がる懸念は否定できない。避難者の帰還の遅れにつながるとの見方もあろう。

 だが、条文には「放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分解明されていない」とある。その趣旨からすれば、幅広く救済の網を掛けることは理にかなっていよう。原発事故の持つ重大性だろう。

 事故から月日がたつにつれ、自主避難者は住まいの保障など先行きの不安を募らせている。心のケアも軽視できない。東北から始まった電話相談「よりそいホットライン」の代表で、支援法の具体化を求める熊坂義裕医師は「震災は失業や貧困、ドメスティックバイオレンス(DV)などの形を取る『生きにくさ』を一気に露呈させた」と本紙に寄稿している。

 線量基準の難しさはあるにせよ、国は支援法成立後、被災者の生の声を聞くべきだった。

 もともと支援法に具体的なメニューが明記されていないのは、被災者や自治体の声を聞いて積み上げるという前提があったからではないか。ニーズに応じて施策を柔軟に組み合わせていく、という意味があろう。

 復興庁は提訴を前に、「基本方針は鋭意作成中」とコメントした。だが提訴された以上、法廷で争うしかないのだろうか。先行して一部実施できるメニューは探せないものか。

 避難指示区域から避難している人への支援を含め、どの条件下でも、家族と離れて暮らす子どもの生活支援、学習支援については急がなければなるまい。いま一度、法の理念に立ち返って考えたい。

(2013年8月24日朝刊掲載)

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