×

社説・コラム

『論』 国立追悼施設構想 しのぶ・悲しむ 空間を

■論説副主幹 佐田尾信作

 出雲大社の主祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)だ。ところが中国の知識人を案内しようとしたら「天皇をまつっているから」と断られた。出雲市出身の映画監督錦織良成さんから聞いた話。とんでもない誤解だが、監督は「日本人の知識だって怪しいもんですよ」と嘆く。

 元自民党総務会長堀内光雄さんの近著「『靖国』と『千鳥ヶ淵』を考える」にも似たような描写がある。花見の若者たちは靖国神社を参拝しながら「何の神様をまつっているの」とささやき交わし、無名兵士の遺骨を納める千鳥ケ淵戦没者墓苑では「こんな所に墓地が」と驚く―。

 ましてや靖国でも千鳥ケ淵でもない「国立追悼施設」なら、なおさらぴんとこないだろう。堀内さんが「軍人・軍属の英霊を祀(まつ)る靖国神社はあっても、民間人を含めたすべての戦没者の御霊(みたま)を祀る施設はない」と記す通り、実在しないからだ。

 民主党は国立追悼施設の実現を政策集に掲げ、2009年衆院選に臨んだ。当方も政権交代後、昭和史研究家保阪正康さんらに取材し、解説記事を書いたことがある。

 もともと構想は自民党政権内部から生まれた。検討を指示したのは当時の小泉純一郎首相。自身の靖国参拝への批判をかわす狙いもあったと見られるが、追悼懇と呼ばれた福田康夫官房長官(当時)の諮問機関が1年の討議を経て02年、報告をまとめた。

 報告は「国立の無宗教の恒久的施設が必要」と結論付けた。憲法の政教分離の原則は守るものの、訪れる国民の宗教感情は否定しない▽靖国や千鳥ケ淵の存在意義は損なわない-などの条件もあった。

 民主党の政策は大筋でこれを踏襲したが、3年余りの政権時代に表だった動きはなく、今の安倍政権はさらに冷淡に思える。安倍晋三首相は5月に「(戦没者との)魂のふれあいが感じられなければ、国が立派な施設を造っても誰も行かない」と国会答弁した。質問した野党側もそれ以上、追及していない。

 国立追悼施設は追悼懇報告以来、いわば板挟みに遭ってきた。「国がなすべきは戦死者に対する謝罪と補償だ」と批判を受けたこともあれば、「靖国に取って代わるのか」と警戒感も持たれた。

 だが、このまま構想で終わってしまうとすれば惜しい。

 70年近い時を経て、あの戦争の体験は日々風化し、肉声はか細くなる。終戦の日を中心にした今の形の追悼を未来永劫(えいごう)続けられるのかどうか。原爆、空襲、沖縄戦などで犠牲になった、あまたの民間人や子どもたちの場合も同じだろう。

 ならば、心ならずも生を全うできなかった人たちに思いをはせてしのぶ・悲しむ、新たな空間を追悼施設として構想できないか。その死をたたえるというより、まずは弔意を表す公共の場とするのだ。

 そこには、未来には戦争による死者は出さないという決意も表現したい。諸外国への強いメッセージとなろう。

 そのうえで死者の名前を刻んできた地はこれからも守っていく。ヒロシマを題材にするH氏賞受賞詩人野木京子さんの一文を借りれば「死者は数ではなく、固有の名前で光を帯びている」。むろん名前を刻まれない自由もあろう。

 難しいのは国立追悼施設のイメージだ。追悼懇報告は抽象的である。どこに、どんな設計・デザインで表現するか。モニュメントには何を刻むのか、あるいは刻まないのか。千鳥ケ淵を生かす選択肢もある。2年後の戦後70年に向け、政治決断できないか。

 姿を現した追悼施設が恋人たちのデートスポットになるのもいい。非戦を誓う場と思えば、趣旨にかなうだろう。

(2013年8月29日朝刊掲載)

年別アーカイブ