×

社説・コラム

天風録 「私に同情せず」

 原因が分からないまま木々が枯れ、農作物を食した住民が病に倒れ、多くが亡くなった。汚染は栃木、群馬、埼玉など広範囲に及んだ。しかし国は原因調査をしないばかりか、見せかけの処置を施し、「安全宣言」まで▲まるで福島原発事故とうりふたつの国の対応だが、1世紀前の話。日本の公害の原点たる足尾鉱毒事件である。国会議員を辞してまで明治天皇への直訴を図った田中正造が没して、ことしで100年▲出身地の栃木県佐野市では顕彰行事が盛んだ。ただし、あがめ奉るのではない。記念シンポは鉱毒事件と東日本大震災で亡くなった人への黙とうで始まった。日本はこの100年、一体何をしてきたのか。悔いも込めて▲生きていれば東北の民に「怒れ」と訴えただろう、と言うのは正造の研究者、小松裕さん。正造は鉱毒で枯れた稲を国会に持ち込み、時の政府に迫った。ならば汚染魚を突き付ける者よ、いでよ、と▲死の床で「私に同情せず、私が向きあった問題に同情してほしい」と言い残した。後には信玄袋一つ。思えば、今は己への情を求める政治家がいかに多いか。この100年が無駄だったとは思いたくないが。正造は来月4日が命日。

(2013年8月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ