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社説・コラム

著者に聞く 「マイ・プライベート・フクシマ」 那須圭子さん 知ってしまった「責任」

 「原稿をお見せしたら、僕がよろけてる写真をもっと載せてよ、ですから。驚きました」と笑う。

 副題は「報道写真家福島菊次郎とゆく」。書名の「フクシマ」は二つの福島を意味する。一昨年9月、福島原発事故の計画的避難区域や東京都心の反原発デモを撮って歩く師を追った。

 92歳と思えぬ身のこなし。だが、カメラを構えた低い姿勢から立ち上がれないことも。デモ撮影中、若い警官に「おじいちゃん、大丈夫ですか」と気遣われた。被爆者の撮影から始め、戦後日本の闇を告発してきた反骨の人が苦笑する。それもまた「福島菊次郎」だ。

 飯舘村の酪農家を訪ねた。クモの巣が張る空っぽの牛舎。福島さんは問いただす。「原発ができるにあたって、巨額の金を手にした人もいるはずです」「まずそれを言って、それから被害を訴えるのでなければ…」

 苦渋に満ちた相手の表情。彼がそんな見返りを手にしているはずもないが、写真家としての生き方が言わせてしまった。「私には思いつかない問い。福島さんも口にしてすぐ後悔したのですが」

 学生時代、「東京漂流」で脚光を浴びた写真家藤原新也氏に憧れた。結婚を機に山口県へ移り住んで30年。福島さんを早くから知り、上関原発反対運動を撮ることを勧められる。「写真は好きでも機械には弱いんです。最初は一枚も撮れずじまいで帰ったことも」

 やがて祝島に通って人々の営みを撮り続け、昨夏は「平さんの天空の棚田」を出す。この夏は島に福島の小学生を受け入れ、飯舘村で初期被曝(ひばく)線量の調査にも参加した。

 あとがきに「知ってしまった責任」という言葉を書き留める。福島さんに「僕はヒロシマを、あなたは祝島を知ってしまった」と言われたことがある。師は分かってくれている。その思いで関わり続けるだけだ。(佐田尾信作)(みずのわ出版・3465円)

 なす・けいこ フォトジャーナリスト。1960年東京都国分寺市生まれ。早稲田大卒業。光市在住。

(2013年9月1日朝刊掲載)

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