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社説・コラム

『書評』 原爆といのち 「ゲン」誕生の志を描く

 松江市教委が小・中学校に閲覧制限を求めた末に今夏、撤回を決めた中沢啓治さんの「はだしのゲン」。この作品が週刊少年ジャンプで連載が始まった1973年、評者は広島の高校生だったが、級友らと話題になった記憶はない。熱く語り合った漫画はクライマックスを迎えた「あしたのジョー」であり、映画でいえば地元を舞台に始まった「仁義なき戦い」であった。

 10代のころ広島デルタの川沿いにはバラックがまだ並び、夏は半袖からケロイドが見える姿が街中にあった。反戦・反体制の気分は高校生の間でも強かった。同時に高度成長を疑わなかった。ゲンの世界は身近に感じる半面、アナクロニズムを覚えた。

 東京に出て学生をしていた70年代後半、学内の食堂でゲンに再会した。革新政党系の評論誌に連載されていた。まだ続いているとしか受け止めなかった。82年からは連載が労組機関誌に移っていたのは知らなかった。全10巻を読破したのは90年代に入って。原爆投下への怒りにとどまらず、日本の加害責任からも戦争の問題をえぐり出そうとする作者の熱い意思に遅まきながら気づいた。

 本書は「漫画家たちの戦争」と題した全6巻の一つで、原爆を扱った異色の作品を収録する。

 中沢さんが72年に発表した自伝的漫画「おれは見た」を読むと、連載先を変えてもゲンをなぜ描き続けたのか、志の始まりが分かる。

 やはり原爆で父を失った谷川一彦さんが57年に月刊誌なかよしで連載した「星はみている」や、ギャグ漫画の王様となる赤塚不二夫さんの「九平とねえちゃん」からは、少女漫画の世界で早くから原爆の悲劇に触れていたのが浮かび上がる。手塚治虫さんの「ブラック・ジャック」の一編、劇画を切り開いた辰巳ヨシヒロさんの「地獄」…。

 原爆が何をもたらしたのかを、漫画の力と魅力で伝えようとした試みでもある。少年・少女漫画の黄金時代を知る元子どもたちも広げてほしい原爆漫画の選集だ。(西本雅実・編集委員)

金の星社・3360円

(2013年9月8日朝刊掲載)

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