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社説・コラム

社説 東京五輪決定 平和理念 体現する場に

 スポーツを通じて若者を教育し、平和でよりよい世界の建設に貢献する―。「オリンピック・ムーブメント」と呼ばれる五輪憲章の原点である。それを体現できる大会にしよう。

 ブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会(IOC)総会で、2020年五輪の東京開催が決定した。失敗した4年前の雪辱を果たした格好である。

 世界のトップ選手にとって最高の舞台となる。数々の感動を生むのは間違いない。スポーツに打ち込む子どもたちにも何よりの励みとなる。日本にとって久々の明るい話題といえる。

 当初はイスタンブール、最終盤はマドリードとの接戦が伝えられた招致レース。東京が評価されたのは、開催準備の着実さや治安の良さだという。

官民一体が奏功

 日本オリンピック委員会(JOC)の関係者らがロビー活動を重ねた成果でもあろう。岸田文雄外相が早々に現地入り。安倍晋三首相も自ら最終プレゼンテーションに立つなど、官民一体の活動が功を奏した。

 平和な社会の推進と人間的な成長、友情や連帯などを根本原則とする五輪。本来の姿は、勝利至上主義とも、一国の国威発揚とも一線を画す。

 とはいえ冷戦期にはもっぱら東西対立が色濃かった。大会が財政的にも巨大化した1980年代は商業主義批判が強まった。新興国が経済発展の起爆剤と捉えるのも無理はない。

 五輪の理念と現実がかけ離れるばかり、という批判は根強くある。では東京五輪の意義はどこにあるのか。大差での招致成功に浮かれず、立ち位置を確認し続けなければなるまい。

 同じ都市で2度開かれるのはアジア初である。前回の64年は戦後復興から経済成長へ、ひた走った時代。いま、バブル経済を経て人口減社会へと転じたが東京一極集中は止まらない。

 安倍政権はアベノミクスの「4本目の矢」としてデフレ脱却を期待する。経済効果は約3兆円、という試算もある。

 むろん景気浮揚は歓迎できよう。だが、あくまで五輪の効果であり、目的や目標ではない。波及効果を地方にも行き渡らせるためには、積極的な政策誘導も問われよう。

大義は復興支援

 東京は五輪開催の大義について「東日本大震災の復興支援」とアピールしている。

 現状はどうだろう。福島第1原発の事故は今も汚染水流出に対する内外の懸念が消えない。安倍首相が「状況は完全にコントロールされている」と強調したことが招致の決め手となったようだ。

 明確な根拠がないとして福島県民の多くが反発したのも無理はない。福島を含め東北では30万人近くの震災避難者がいまだ全国に分散している。

 政府は、汚染水をはじめ放射性物質の封じ込めが重い国際公約となったことを忘れてはならない。復興支援と安全という看板にふさわしい大会とする責務はすこぶる大きい。

 もとより五輪は政治的な中立が大前提だが、対立や紛争のあおりを受けてきた。ソ連のアフガニスタン侵攻を受け日本などがボイコットした80年のモスクワ五輪が象徴だろう。

 平和でこそ競技ができる。スポーツは信頼醸成と平和への足掛かりにもなりうる。内戦や隣国とのあつれきが続く国の政治指導者は五輪憲章の理念をいま一度、肝に銘じるべきだ。

かつて広島市も

 広島市がかつて核兵器廃絶を目指して五輪招致を探った意味もそこにある。結果的に全く歯は立たなかったが、「平和の祭典」の根幹の部分に被爆都市がスポットライトを当てた意義は決して小さくなかった。

 東京も尊重してもらいたい。ちょうど東京五輪の期間に広島と長崎は被爆75年の節目を迎える。内外の観客が被爆地も訪れれば、核兵器廃絶の願いを広く共有する機会ともなろう。

 そのためにも政府はアジアで平和を紡ぐ努力を重ねてほしい。「隣人」との関係を温め直し、国境を超えて素直に声援し合う。そんな五輪が見たい。

(2013年9月10日朝刊掲載)

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