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社説・コラム

今を読む はだしのゲン閲覧制限

「引き算の中立」は危うい

 例年であれば、「終戦の日」前後がピークになる「8月ジャーナリズム」。ことしは8月末まで議論が盛り上がった稀有(けう)な年であった。「はだしのゲン」閲覧制限問題によるものであろう。

 その間、閉架の是非や作品の意義について、多くの議論がなされた。結果的に、約40年も前に描かれた漫画の影響力の大きさを、あらためて社会的に印象づけた。

 とはいえ「ゲン」だけの問題ではない。それを超えて「中立」「公正」のある種の危うさを映し出している。

 「ゲン」は多く学校の図書室に置かれてきた。生徒たちは、学校にある例外的な漫画であったがゆえに、こぞって手に取った。多くの場合、精読というには程遠く、個別の描写や物語を断片的に楽しむ読書形態だっただろう。

 だが少なくとも、学校図書室に置かれてきたことは、この書の内包するテーマが決してタブーではなく、学校という公的な場で議論することが一応は可能である、という認識を生み出してきた。

 裏を返せば、閲覧制限は議論の対象から隠すことを意味する。閉架支持の論の背後には「歴史認識」や「自虐史観批判」の点から中立を求める意図がうかがえる。だが、何かを排除することで生み出される中立には閉鎖性がつきまとう。

 こうした「引き算の中立」は今回に限るものではない。

 戦前には、原理日本社などに集う知識人らが、天皇機関説をはじめとする自由主義を糾弾した。明治憲法下の「正しさ」を過剰に振りかざす姿勢は、異質な議論の排除と言論界の萎縮を生み出し、自由で批判的な討議を阻む結果となった。閉架支持の一定の根強さの背後にも、類似の「引き算の中立」を見ることができるのではないか。

 「ゲン」を描いた中沢啓治は「原爆の残酷な場面を見て、『怖いっ』『気持ちが悪いっ』『二度と見たくないっ』と言って泣く子が日本中に増えてくれたら本当によいことだと私は願っている」と述べていた。原爆に限らず戦争は「二度と見たくないっ」と思うような局面に満ちている。そう思う前にふたをして、心地よい歴史を流布させることに生産性はあるまい。

 そもそも今回は生徒たちの図書室を舞台に借りた「大人たちの争い」だったのではないか。論争の根底には、自虐史観批判などをめぐる従来の論争が透けて見える。

 だが、こうした議論の膠着(こうちゃく)は不毛なものでしかない。かつては、「死者に寄り添うこと」と「責任を問いただす」ことは対立するものではなかった。撃沈された戦艦武蔵に乗り組んでいた日本戦没学生記念会(わだつみ会)事務局長の渡辺清は、当時の自らの強烈な「殉国」「愛国」の念を突き詰めながら、責任を取らない軍上層部・為政者を批判し、その先に、自身を含む国民の戦争責任を論じた。

 ビルマ戦線に従軍した神学者舟喜順一は「戦没者自身、生前これらの反省を自らの来し方に加えるに至った者もあるのではないか」と述べ、死者の死に寄り添いながら、彼らへの批判を論じていた。いわば、死者への批判は死者との対話につながり、殉国の強調は戦争責任や加害責任を問うものでもあったのである。

 さらに言えば、「愛国」の念のゆえに国の過誤を厳しくいさめる、ということもあり得よう。丸山真男の言う「本来忠節も存せざる者は終に逆意これなく候というパラドクス」である。であれば、「愛国」ゆえに「ゲン」の戦争責任追及に共感することがあってもよいのではないか。

 昨今ではこれらの論理が思い起こされることは少ない。それはすなわち、われわれが「忘却」を直視していないことを意味する。

 戦後70年近くを経てもなお、「戦争体験の継承」は多く言われる。だが、継承に性急なあまり、何を忘却してきたのかを問わずに済ませてきたのではないだろうか。

 中立や公正は所与に存在するのではなく、往々にして時代の欲望の中で創られる。それを批判的に問い直す糸口は忘却を振り返ることにあるのではないか。「ゲン」をめぐる事件は、作品自体を超えて、この問題を提起している。(敬称略)

立命館大教授 福間良明
 69年熊本市生まれ。京都大大学院人間・環境学研究科博士課程修了。13年から現職。専攻は歴史社会学、メディア史。著書に「『戦争体験』の戦後史」など。編著書に「複数の『ヒロシマ』」など。

(2013年9月10日朝刊掲載)

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