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社説・コラム

『言』 3・11と災害医療 弱者の避難が重い課題

◆広島大病院高度救命救急センター長 谷川攻一さん

 東日本大震災から2年半になる。未曽有の複合災害が医療現場に突き付けた課題は、今なお重い。広島大病院の谷川攻一・高度救命救急センター長(56)は原発事故の直後から福島へ向かった一人。自らを含めて被災地の体験を克明に記録した「医師たちの証言」(へるす出版)を刊行したばかりだ。災害医療や地域防災に3・11の教訓をどう生かすべきなのかを聞いた。 (聞き手は論説委員・岩崎誠、写真・増田智彦)

 ―ことしになって、福島に派遣された各地の医師や看護師の体験集をまとめた意味は。
 関東大震災90年で巨大災害が再び注目されていますが、東日本大震災への関心は薄れてきた感もあります。当時の医療対応の報告書はいくつも出ましたがエッセンスではなく、現実の体験をダイレクトに未来に伝えなければ、という思いです。

 ―広島大の被曝(ひばく)医療チームの一員として3月13日から福島県入りしています。患者ら50人が避難中に命を落とした双葉病院(大熊町)の悲劇にも直面したそうですね。
 いくつも教訓があります。一つは放射線の影響を軽減するための避難が大きなリスクを伴ったこと。放射線そのものではなく避難によって命が失われたのは痛烈に反省すべきです。もう一つは実際に福島で求められたのは放射線に対するものはあまりなく、多くは通常の災害に必要な医療だったこと。放射線災害と自然災害を一つのものとして考えていませんでした。

 思えば2007年の中越沖地震で柏崎刈羽原発が損壊したのをヒントに、通常の災害派遣医療チーム(DMAT)をどう連携させるかなどの備えをしておくべきでした。悔やまれます。

 ―災害医療にとって大きな転換点になったわけですね。
 大震災は放射線災害に限らず共通の課題を明らかにしてくれました。従来の考え方は建物倒壊や火災に遭った人たちの死をどう少なくするか。入院患者や介護施設の入所者、寝たきりの在宅のお年寄りといった災害弱者に対応するスキームがありませんでした。どこにどれだけいるかを共有し、医療を投入する発想が必要になっています。

 ―その点、中国地方は。
 例えば広島県は3・11の教訓を生かすため県内をブロック単位に分けて医療ニーズを把握しようとしています。情報の共有は改善しつつあるでしょう。

 ―今後は安全な避難はできるのでしょうか。島根原発の事故を想定すれば、30キロ圏内の災害弱者は3万人とも聞きます。
 島根県は万一の場合、他県にも住民の避難先を確保することで全国の先を進んでいます。一方、あの双葉病院の患者たちの例でみれば搬送の前も後も医療措置はゼロでした。放射線災害では、準備が整うまで屋内待避した方が生命リスクは低いことがあり得るのです。その場合は食事も含めた十分なサポート態勢が必要になってきます。

 ―さまざまなリスクを全体で捉える考え方ですね。
 30キロ圏内なら全て一斉に避難するというより、病院や施設ごとに放射線量を測定して対応することも必要でしょう。福島がそうだったように、放射線量は風向きでも変わってきます。

 ―甚大な被害が心配される南海トラフ巨大地震の場合は。
 孤立したり停電したりして病院ごと避難する同様の事態は起こり得ます。周到な準備をした上で無理はせず、順序よく避難することが大事です。もし他の地域が大きな被害を受ければ、広島県内にも多くの患者が避難してくることも考えられ、県が窓口となって受け入れの計画をつくりつつあります。

 ―ご近所同士でもっと弱者を気遣い、災害時にどう動くかを考えることも必要では。
 おっしゃる通り。町内会など地域のコミュニティーはものすごく大切であり、その維持にもお金を投じるべきです。防災だけではなく日常の異変に気付くことにもつながります。そうしておかないと南海トラフ巨大地震などに対応できません。「上から」だけの防災はもろい。一番もろいのが国レベルでやろうとするものであり、それが原子力防災でした。住民が積極的に参加し、市や町が主体的に動く態勢が欠かせません。

たにがわ・こういち
 北九州市生まれ。82年九州大医学部卒。救命救急医学専攻。95年の阪神大震災から災害医療に本格的に関わり、福岡大病院講師を経て02年から広島大大学院教授。福島第1原発事故に伴う放射線被曝の対応に現地で当たった。大学病院の副病院長も兼任。広島県ドクターヘリ運航責任者を務めるなど地域医療の職務も多い。

(2013年9月11日朝刊掲載)

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