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社説・コラム

『潮流』 オラドゥール村の和解

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長 宮崎智三

 爆心地の周辺は焼け野原のまま保存し、都市機能は別の場所に移す―。原爆投下後の広島の復興計画が検討される中、そんな大胆な提案があったという。

 当時は占領下。自ら投下した原爆がどれほど非人道的か、証拠の保存を米国が認めたとは思えない。しかし、もし実現していたら、今どれぐらい強烈なメッセージを発しただろうか。

 広島では日の目を見なかった廃虚を丸ごと残すアイデアが、フランスでは実行に移されている。パリの南約400キロ、同国中西部にあるオラドゥール村だ。

 第2次世界大戦中の1944年6月10日、ナチスドイツの武装親衛隊が、小さな村を襲った。敵対していたレジスタンス運動の拠点と見なし、たった1日で村民のほぼ全員を虐殺した。

 残念ながら現地を訪れたことはない。観光客でにぎわうことも少ないと聞くが、今月4日は少し違っていた。ドイツのガウク現大統領が初めて訪れたからだ。フランス側の88歳の生存者の一人、それにオランド大統領と会い、廃虚となった虐殺現場の教会などを回って犠牲者を追悼した。

 「和解の新たな一ページを記した」。現地では、そんな見出しでこのニュースが報じられた。

 20世紀半ばまで戦争に明け暮れた欧州。東西冷戦が影を落としていたものの、第2次世界大戦後は様変わりした。背景にあったドイツとフランスの歩み寄りの成果を疑う人はおるまい。

 フランスも一方的な被害者ではない。国内にはナチスに協力した人も少なくなかったからだ。それでも互いに、自らの過ちや罪も含めて歴史に向き合ってきた。そんな努力を重ねてきたからこそ、新たな一ページが記せたのだろう。

 同じことがなぜ、アジアでは進まないのか。隣国との新たな火種となった尖閣諸島国有化から1年。諦めずに道を探り続けたい。

(2013年9月12日朝刊掲載)

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