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社説・コラム

『中国新聞を読んで』 平尾順平 議論したい「ゲン」問題

 漫画「はだしのゲン」について松江市教委が、小中学校の図書館での閲覧制限を要請していたと8月17日付社会面で大きく報じた。私は、小学生のときから1~10巻まで何度も読み返すほどなじみのある漫画が「子どもの発達上、悪影響を及ぼす」と判断されていたことに衝撃を受けた。

 この問題は地元に加えて被爆地広島や全国各地でも大きな論議となった。市教委が26日、閲覧制限の要請を撤回して一応は終息したが、私個人は一連の報道に何となく釈然としない思いを持っている。

 一つは、何が争点で真相はどうだったのかという点だ。例えば閲覧制限の発端。小学生の母親が一部表現は過激だと意見を寄せた、市内の男性が間違った歴史認識を与えないよう撤去を求め抗議したと二つ挙がっていたと思うが、理由はよく分からなかった。

 子どもの発達への悪影響と歴史認識に関わる部分は別々に丁寧な議論が必要だが、詳しくは報じられなかったと思う。さらに、行政の学校教育への介入、「表現の自由」の問題も加わり、全体像は複雑なまま残された印象がある。

 もう一つは、松江市内の小中学校校長の1割に当たる5人をはじめ、「閲覧制限を必要」と判断した方々の意見や背景は、あまり詳しく記事にならなかった点である。

 多数派の意見が正しい、平和とはこういうものだと決めつけては、新たな議論や市民が主体的に考える機会を奪ってしまうようで残念である。

 同様のことは、広島市が原爆資料館の被爆者人形の撤去を検討している問題への各界の反応や、報道でも感じた。

 広島市民、被爆2世の私は街として平和を創り出し、発信するのは至上命令のように大切だと思う。だからこそ、その過程で、異なる教育や文化、環境を背景にした多様な考えの人たちが、互いを尊重しつつ平和について議論し、理解し合える場であり続けることも、平和都市として大切だと信じている。

 ここに暮らす人も、ここを訪れる人も安心して議論し合える広島でありたい。「はだしのゲン」の一連の報道から、そんなことを考えた。(読者モニター=広島市中区)

(2013年9月14日朝刊掲載)

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