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社説・コラム

『書評』 忘却のしかた、記憶のしかた 「なかった」歴史 直視を

 敗戦から68年後の今もなお、日本の政治家の「歴史認識」発言が国際的な波紋を呼ぶのはなぜだろう。問題の本質を探ろうとする時、糸口になる一冊かもしれない。

 焼け野原からしたたかに立ち上がる日本人の実像を、膨大な資料から掘り起こしたベストセラー「敗北を抱きしめて」で知られる米国の日本史研究者。2005年までに論じた11編を収めた。

 戦争の記憶には、往々にして負の側面を排そうとする力が働く。一国の歴史となれば、誇れる物語にそぐわない。ときに、出来事全体が「なかった」かのように扱われる。

 過去に分け入り現在の「絵」と対置してみよう。選択的に記憶、あるいは忘却されたものの両面が浮き上がってくる。多様かつ複雑に映る歴史を丸ごと直視せよ―。それがダワーの視点だろう。

 従軍慰安婦問題の「強制性」をめぐる政治家の発言、松江市教委の「はだしのゲン」の閲覧制限問題を思うとき、通じるものがある。  戦後処理をめぐり、ドイツとよく比較される日本は「決定的に自ら過去と袂(たもと)を分かつ」機会がなかった。そもそも日米の合作だ、と指摘する。占領統治を円滑に進め、東西冷戦の忠実な「盾」として日本を組み込むため、天皇をはじめとする戦争責任が不問に付されたからだ。

 とはいえ、日本だけを責めるのではない。米国の戦争との向き合い方にも手厳しい。たとえば、米国立スミソニアン航空宇宙博物館で原爆投下に使用された「エノラ・ゲイ」の展示内容が、退役軍人団体などからの圧力に屈して被害実態を全く捨象した一件である。

 「何十万人もの敵の民間人を生きて火葬にしたような」自国の行為から目をそらし続ける姿勢を指弾する。真に支持すべきは「異議の声に対する寛容さと、過去の悪に向き合ってそれを乗り越える能力」だと。こちらにも、ブーメランのように返ってくる。(金崎由美・論説委員)

岩波書店・3150円

(2013年9月15日朝刊掲載)

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