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社説・コラム

社説 原発ゼロの行方 やすきに流れては困る

 福井県にある関西電力大飯原発4号機が定期検査に入り、原子炉が止まった。これで国内の原発は「稼働ゼロ」となった。

 全停止は昨年5~7月以来であり、東日本大震災以降では2度目となる。身の回りを再点検し、いっそうの節電を図る機会にしたい。

 このまま脱原発へと歩を進めるのか。それとも各地の原発を再稼働させ、なし崩し的に原発依存社会へ逆戻りするのか。エネルギー政策の岐路でもある。

 最終的な選択は国民に委ねられているはずだが、十分な議論もないまま再稼働の手続きが進む。原発ゼロは一時的なものにとどまりそうだ。

 だが、汚染水漏れなど福島第1原発の現状を踏まえれば「再稼働ありき」では済まない。安易な方向へ流れては、古里を奪われた被災者も納得できまい。

 大飯原発は昨年7月、夏場の電力不足が懸念されたため、当時の民主党政権が緊急避難的に再稼働を認めていた。

 この夏の記録的な猛暑を乗り切るうえで「効果的だった」との見方はある。確かに大規模発電所に依存する電力供給の現状からすれば原発の存在感は大きい。半面、小規模分散型の発電システムへと大胆に転換していく機会を逃したともいえよう。

 その意味で気になるのは、今の自民党政権が原発依存の姿勢に終始していることだ。

 政権復帰を決めた昨年末の衆院選の公約は「原発に依存しなくてもよい経済、社会の確立を目指す」とした。ところが今夏の参院選の公約でその文言は消え、原発の再稼働について「地元自治体の合意を得るよう努力する」と書き込んでいる。

 しかも安倍晋三首相は2020年の東京五輪招致に成功した際、漏えい防止が極めて困難な福島の汚染水について「完全にコントロールされている」と明言した。震災を機に封印したはずの「安全神話」に、再びとらわれている。そう見なされても仕方あるまい。

 政府が年内をめどに策定する新たなエネルギー基本計画にしても、原発維持の方向性を示すとみられている。取りまとめの議論には大企業の関係者や政府に近い専門家らが参加し、事務方は資源エネルギー庁が務める。民意をどこまで反映できるか、疑念が残る。

 さらに、原発の使用済み核燃料の処理も先行き不透明である。核兵器の材料となるプルトニウムが膨大に蓄積され、国際的な懸念は強まるばかりだ。

 ここはまず、福島の事故原因を国民が納得できるまで徹底検証し、事故を収束させることが先決ではないか。それを後回しにして他の原発の再稼働を急ぐ姿勢は道義的にも許されまい。

 エネルギー政策の抜本的な見直しが不可欠である。値段が多少高くても原発以外の電力を使いたい家庭はあろう。再生可能エネルギーを中心に、地域で発電して地域で使う地産地消をもっと進められないだろうか。

 「エネルギー自治」を進めるには強力な政策誘導が必要だ。発送電の完全分離などの改革が大前提でもある。人口減社会にあってエネルギー需要の総量を減らす発想も求められよう。

 原発依存からの脱却は並大抵の努力では済むまい。とはいえ手をこまねいていては、「いつか来た道」に戻ってしまう。

(2013年9月16日朝刊掲載)

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