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社説・コラム

社説 米核爆弾落下 今に続く危機と捉えよ

 核兵器がいかに人類を脅かすか。背筋が凍るような現代史の闇が明らかになった。

 米南部ノースカロライナ州で1961年、米空軍爆撃機B52が墜落し、2発の水爆が落下する事故が発生した。米政府は「深刻な事態ではなかった」と説明してきたが、実際には起爆寸前だったのだという。

 水爆は開いたパラシュートとともに木に引っかかったり牧草地に落下したりした。うち1発の起爆装置が衝撃によって作動し、四つの安全装置のうち三つまでが解除されていた。

 水爆の威力は、広島に落とされた原爆の実に260倍。首都ワシントンやニューヨークにまで大量の死の灰が降り注いだ可能性があった。運に恵まれたとしかいいようがない。

 米国人ジャーナリストが情報公開法に基づき入手した米公文書を基に、英紙などが報じた。ほかにも「重大な事故」があった、と指摘している。

 66年にスペイン、68年にはデンマーク領グリーンランドで水爆を積んだ米空軍のB52が墜落し、放射能汚染を引き起こした。本土復帰前の沖縄でも、水爆を積んだ米艦載機が空母から海に転落した。すでに明らかになっている事故である。

 これらは氷山の一角であり、全体では50~68年に約700件に上ったとしている。

 東西対立の時代、米国は旧ソ連との核戦争に備え、核搭載機を北極圏や大西洋の上空で常時任務に就かせていた。その渦中で事故が多発したようだ。

 とはいえ冷戦時代に限った不始末とは片づけられない。

 たとえば2007年、B52が誤って核弾頭6個を搭載したまま米本土上空を飛行し大問題となった。4年前には英国とフランスの核兵器搭載原子力潜水艦が海中で接触事故を起こした。まかり間違えば、と思わせる。

 広島・長崎は原爆被害の非人道性を世界に向けて告発してきた。再び被爆者を生まない「抑止力」となってきたといえよう。ところが核兵器は、ずさんな管理や事故といった平時の人的ミスでも深刻な事態を招きかねない。

 そこに「決して使わなくても、持っているだけで国の安全が守られる」という核抑止力信仰は大きく揺らぐ。逆に自国の国民を危機にさらしている。核保有国はそう自覚すべきだろう。

 だが当事国の腰は依然重い。世界に1万7千発の核兵器があり、うち2千発は早ければ数分で発射できる体制だといわれている。それ自体危険過ぎる、という専門家の指摘は絶えない。

 核兵器が廃絶されない限り、リスクはつきまとう。今回明らかになった52年前の実態から、全ての核保有国が学ぶべきだ。

 国際社会がどこまで本気で迫るかにもかかっていよう。被爆国日本はなおさらである。

 岸田文雄外相が、きょうから訪米し、26日に国連本部である核軍縮に関するハイレベル会合で演説する。国連総会の一般討論演説に合わせ安倍晋三首相もニューヨーク入りする。

 12月まで続く国連での核軍縮議論をにらみ、核兵器の「非人道性」に関する共同声明に日本が賛同に転じるか、注目が集まっている。核兵器廃絶は単なる理想ではなく喫緊の課題だと、どこまで胸を張って語れるか。被爆国の言行一致を期待したい。

(2013年9月23日朝刊掲載)

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