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社説・コラム

『潮流』 眉唾ワード

■論説委員・石丸賢

 その言葉を目や耳にすると、頭の隅で警報が鳴り出す。手前勝手に「眉唾ワード」と名付けている中に「真の…」がある。

 「真の教育」とか「真の日米関係」、「真の解決」。聞き逃さず、「もっと具体的に」とかみくだく質問をするように、先輩記者からたたき込まれた。

 経験則だったのだと思う。聞こえがよく、収まりのいい文句には、ごまかしやおためごかしが潜んでいることも珍しくない。

 福島では今、「安心」が幅を利かせているらしい。地元の弁護士がおととい、広島市内であった日弁連人権擁護大会のシンポジウムで報告していた。

 低線量の放射線被曝(ひばく)を気遣う声は袖にされがちで、気にする方が体に毒といわんばかりという。復興の掛け声ばかりが勢いづいているせいかもしれない。

 原発の「安全」も、息を吹き返しだした気がしてならない。原子力規制委員会はなぜ、原発の安全審査と呼び続けるのだろう。滞りなく済めば、もう再稼働のゴーサインが出るような雰囲気を漂わせる。

 看板倒れの旧原子力安全・保安院に取って代わり、出直したはずである。言葉の使い方も改めなければ合点がいかない。

 安全審査でなく、危険度審査と呼ぶ方がふに落ちる気がする。せめてリスク審査と呼ぶべきではないか。

 それに規制委の視野は、あくまで発電所内に限られ、地域住民の命や財産を守れる保証はどこにもない。新潟県知事が異を唱えている通りである。

 福島第1原発の事故で国会の事故調査委員会が指摘した一文を思い返したい。「規制する立場と、される立場の『逆転関係』で規制当局は事業者の『虜(とりこ)』になり、安全の監視・監督機能は崩壊していた」

 眉唾を忘れては、規制委をまたもや「虜」に成り下がらせてしまう。

(2013年10月5日朝刊掲載)

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