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社説・コラム

『論』 石巻・大川小の教訓 命守る学校の責任とは

■論説委員 金崎由美

 日々学ぶ学校で子どもの命が損なわれてはならないと、親なら誰しも思う。だが、東北ではそれが現実のものになった。「なぜ」の言葉が思わず口をついた。

 宮城県石巻市の北上川を約4キロさかのぼった釜谷地区。生活のにおいが失われた集落跡の更地に、鉄筋2階建ての廃虚だけが残る。そばには慰霊碑が。2年前の3月11日、東日本大震災の津波を受けた大川小である。児童の遺族の案内で先月下旬、訪れる機会を得た。

 あの日ここで、校庭にとどまっていた児童78人のうち74人の命が奪われた。教師も11人のうち10人が亡くなった。

 地震発生から津波到達まで約50分間。「なぜ高い所へ逃げなかったのか」。6年生だった三男の雄樹君を亡くした佐藤和隆さん(46)が、悔しさをにじませ裏山を指した。

 校庭から登り口までせいぜい数十メートル。生還した児童の証言によると、雄樹君ら複数の児童が「山さ逃げよう」と訴えたが聞き入れられなかった。「先生がいなければ、子どもたちは避難できていたかも」。佐藤さんの言葉が胸に刺さった。

 校長が避難マニュアルの整備を怠っていたことが、震災後に判明した。被災した他の学校と比べても、大川小の犠牲は突出している。確かに、人災としか言いようがない。

 一体何があったのか。事実を知りたい。それが遺族の訴えである。ところが石巻市教委が震災から2カ月後に作成した報告書は、おざなりな内容で矛盾点も指摘された。驚くことに市教委側は、生き残った教師や児童への聞き取りを録音しておらず、頼みの綱のメモ書きも早々に廃棄してしまっていた。

 当事者意識を欠く学校。隠(いん)蔽(ぺい)体質がちらつく市教委。遺族の苦しみは、大津市の男子中学生のいじめ自殺問題と重なってみえる。

 「学校は命を守ることができなかった。組織のあり方まで検証しなければ、本質は見えてこない」と5年生だった次女千聖さんを失った紫桃(しとう)隆洋さん(49)は指摘する。

 今年に入って有識者の事故検証委員会が設置された。年内に最終報告をまとめる方針だ。だがこちらの議論も期待には遠いようだ。地域の防災意識の低さに原因があった、という結論に集約させるならば遺族の納得は得られまい。

 大川小は極端な例にも見える。とはいえ、決してひとごとと片づけてはならないだろう。

 そんな思いから、遺族と交流している学校関係者もいる。落合東小(広島市安佐北区)の穐山和也教諭(57)は昨年秋、知己のつてで現地を訪れた。今年5月には仲間の教師と共同で紫桃さんらを招き、体験を聞いた。避難マニュアルの完備と防災訓練、避難や児童引き渡しをスムーズに行える体制づくり。子どもの命に対する責任だと痛感している。

 中国地方は台風や集中豪雨の脅威と常に隣り合わせである。広島県は南海トラフを震源とする巨大地震の被害想定を独自に試算し、最悪の場合約1万5千人の死者が出るとはじき出した。防災拠点としての学校機能は、地域の安全に関わる課題でもある。

 国は防災教育の方針を昨年打ち出し、全国の学校現場では避難マニュアルの見直しや防災訓練の強化が進む。大切な取り組みである一方、大震災の記憶が薄れていくほど形式的なものになりかねない。

 常に「わがこと」として、何が必要かを語り合ってほしい。こんな被害を繰り返さないで―。大川小児童の遺族の訴えは、教育現場だけに向けたものではないはずだ。

(2013年10月10日朝刊掲載)

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