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社説・コラム

社説 核不使用声明に賛同 一歩前進とは言えるが

 核兵器の使用はいかなる理由があろうとも許されない。当たり前の道理のはずだ。

 日本政府は国連で近く発表される核兵器の非人道性に関する共同声明に賛同する方針を表明した。同様の声明はこれまでも3度まとめられたが、「わが国の安全保障政策に合致しない」と賛同を見送った経緯がある。そのため、被爆地広島・長崎から強い批判を受けていた。

 被爆者や市民の声が届いたといえよう。まずは一歩前進と受け止めたい。被爆国日本は、これを機に廃絶へ向けて国際世論を喚起してほしい。

 声明は、ニュージーランドやスイスなど16カ国が中心となって賛同を呼び掛けている。核兵器が使用されれば破滅的な結果を招くとして、廃絶を求める内容である。

 これまで政府が声明に賛同しなかったのはなぜか。「いかなる状況でも核兵器が二度と使われないことが人類存続の利益になる」という文面の「いかなる状況」という表現が理由だ。

 北朝鮮の核開発など東アジア情勢は緊迫化している。日本が核兵器の不使用を求めることは米国の核抑止力に頼る現状と矛盾を来す、との考えらしい。

 ただ、どんな理由をつけても、非核外交を掲げる日本が、廃絶を求める声明に賛同しないのは理解し難いことだ。広島や長崎などから批判が噴き出したのは当然である。

 きのう会見した岸田文雄外相は「声明全体の趣旨を精査し、支持できる内容と判断した」と方針転換の理由を述べた。その文言通りなら評価できよう。しかし今回の声明の中身について、一抹の不安が残る。

 最終的な声明文は定かではないが、日本側の要請で文言が変わった可能性がある。「核兵器不使用を目指す」など抽象的な表現になる懸念もあろう。

 また、声明により日本の立場を縛ることはないことを確認した上で署名するという。

 これでは、日本は核兵器廃絶を唱えながら、米国の「核の傘」には頼り続けるということを意味するのではないか。非核外交が口先だけなら、自己矛盾も甚だしい。

 安全保障をめぐっては、安倍政権は憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認する考えを示している。つまり米軍が他国から攻撃を受けた場合、日本がその国に反撃できるようになる。それは、当事国が核兵器を持つ場合、核戦争に巻き込まれる事態につながりかねない。

 周辺国に脅威を与え、与えられる関係は、結局、安全をもたらさないのではないか。

 折しもきのう、シリアで化学兵器の破棄作業に着手した化学兵器禁止機関がノーベル平和賞に決まった。内戦状態となった同国で化学兵器が使われ、無差別に市民を巻き込む非人道性が「禁じ手」であると国際社会が指弾した証しともいえよう。

 核兵器も、非人道性において何ら変わらない。いずれも、当然禁止されるべき絶対悪なのである。

 日本に求められているのは、核兵器禁止条約の実現へ国際社会の先頭に立つことだ。

 政府は声明の拘束力をうんぬんすべきではない。核の非人道性を世界へ訴えて行動する歴史的な責務を負っていることを、肝に銘じてもらいたい。

(2013年10月12日朝刊掲載)

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