×

社説・コラム

天風録 「和解のいしぶみ」

 20年余り前の取材となると、何げない物事の方をよく覚えている。たとえば牛の餌を煮る農家の大鍋。戦時中、それを炊事のため借りに来る人々がいたと聞いた。その家の奥さんは、山峡の現場は知るよしもなかったが▲太田川上流の広島・安芸太田町。水力発電所に真新しい「安野 中国人受難之碑」が立つ。戦時中、連行されて土木工事に従った労働者360人のうち、苦役によって原爆によって、異郷の地にたおれた29人を悼む石碑▲市民団体が訪中し、生存者と会うまで知られざる歴史だった。やがて事件に巻きこまれ広島刑務所で被爆したという人に在監証明が届く。遺族らは企業と16年に及ぶ交渉や裁判を経て和解し、事実と責任は揺るがぬものに▲碑前に遺族らを招く事業は6回目のこの秋で最後という。残る希望者の訪日がかなうため。歴史問題は事実を受け入れたうえで、和解によって解決できる―。主催者の通信の文末。今の日中関係を思うと目が覚めよう▲かつて過酷な現場からも手製の胡弓(こきゅう)の調べが聞こえたという。それに和んだとの証言も。人と人はいつか和解できるのだろう。収容所跡は草むしても、石碑や紙碑が語ってくれる。

(2013年10月17日朝刊掲載)

年別アーカイブ