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社説・コラム

社説 原発事故賠償の行方 枠組み 見直すしかない

 ひとたび甚大な原発事故が起きれば、その後始末は電力会社単独では賄い切れず、結局は国民が背負い続けるしかない。きのう会計検査院が明らかにした東京電力に対する調査結果は、その負担の重さをあらためて示したといえるだろう。

 福島第1原発事故の損害賠償や除染に充てるため、東電は原子力損害賠償支援機構を通じて国から5兆円まで借りられる。この支援の枠組みで全額を使い切れば、国の資金回収に最長あと31年かかり、800億円近い利息分は実質的な国民負担―。そう会計検査院は試算する。

 だが5兆円で足りないことは明白だ。既に3兆円余の賠償交付金が東電に渡ったが、賠償は完結していない。さらに除染や汚染水対策、廃炉費用が今後膨れ上がるのは必至。東電が対応できるとは到底思えない。

 つまり将来の東電からの返済を当て込んだ枠組み自体が破綻寸前といえよう。廃炉までを安全に成し遂げるには今のうちに、新たな枠組みへとつくり直すのが不可欠ではなかろうか。

 今回、賠償の手続きが必ずしも順調ではないことも明らかになった。個人への賠償は請求から平均35日余で支払っているものの、1年以上かかったのも120件あるという。

 古里を奪われた被災者のつらさを思えば、検査院が迅速な審査を求めたのは当然だろう。

 東電経営陣はまず国民の視線を意識し、自己責任を確認することから始めてもらいたい。

 というのも、会計検査院が東電の調査に入ったのは、機構が1兆円を出資して実質国有化したからだ。全国民に対して経営責任が生まれたわけである。

 さらに現行の支援の枠組みのもと、中国電力など東電以外の電力会社も機構に負担金を出している。事故の賠償や除染作業は既に、全国民の負担抜きでは成り立たない仕組みだ。

 ところが最近の東電を見ると自覚を疑いたくもなる。うっかりミスが相次ぐ汚染水漏れが象徴といえよう。今回も、東電が賠償対応業務を入札なしで関連会社に委託しているケースが多く見つかったという。

 今日の事態を招いた根本的な要因は、事故を起こした責任を全うせずにきたことにあると言えないか。「安全神話」という虚構が炉心溶融と水素爆発を招き、放射能をまき散らした。被災者の立場で賠償や除染を進めるには、事故そのものへの反省に立ち戻るしかあるまい。

 もっとも、今後の事故処理の困難さを思えば、東電ばかりに任せても不安が拭えない。

 賠償と除染の費用だけで10兆円を超すとの見方がある。汚染水対策や廃炉にはさらに天文学的な金額と時間が必要だ。

 おととい開幕した臨時国会に電力の完全自由化や発送電分離を進める電気事業法改正案が再提出された。こうした電力改革も必然的に、東電という企業の存続を揺さぶるだろう。事故処理の枠組みを抜本的に見直す国民的議論を始めるときだ。

 政治の出番である。ところが安倍政権は消費税の増税決定とともに、復興特別法人税の廃止前倒しを検討していくと表明した。ちぐはぐではないか。

 国策として原発を推進し、事故を招いた。その経緯を省みるならば、事故処理も政治が先頭に立ってやり遂げるほかない。

(2013年10月17日朝刊掲載)

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