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社説・コラム

『潮流』 歌姫を生んだ街

■平和メディアセンター編集部長 宮崎智三

 メトロに乗ろうと、知り合い3人でホームへ向かう階段を下りている途中だった。先を行く1人が突然、カッターナイフを手にした男に「金を出せ」と脅された。必死に身をかわしているうち、ポケットからこぼれ落ちた財布を男が拾い、瞬く間に逃げ去った。

 パリ北東部のベルビル地区。「美しい街」という名にはふさわしくない、20年以上も前の記憶だ。

 それでも、ベルビルを嫌いにはなれなかった。移民が多く、活気があふれる下町というだけが理由ではない。ここで、「シャンソンの女王」エディット・ピアフが生まれたからだ。

 「ばら色の人生」「愛の讃歌(さんか)」「水に流して」…。ヒット曲の多くが、今も歌い継がれている。人それぞれに、思い出の曲があるのではないか。中には、ヒロシマの歌もある。

 「響け太鼓」。病に倒れ47歳で亡くなる前年、自ら作詞して披露した歌だ。

 「響け太鼓よ。毎日死んでいく人たちのために。場末で泣く人たちのために。ヒロシマのため、パールハーバーのために」

 原爆だけを取り上げた歌ではない。戦争の悲惨さを声高に叫ぶわけでもない。ただ、か弱き者たちへの温かいまなざしが伝わってくる。繰り返しの多いメロディーに乗せた独特のだみ声からは、何とも言えない力強ささえ感じる。

 父は貧しい大道芸人、母は育児放棄。それでも路上で好きな歌を歌い続け、才能を見いだされた。ヒット曲を連発し、道を開いた。一方で、幼いわが子や恋人の死、交通事故、薬物中毒と波乱は死ぬまで続いた。

 今月、ちょうど没後半世紀を迎えた。最近も、浮き沈みの激しい人生が映画になるなど魅力はなお人を引きつける。逆境にも決して負けなかったたくましさ。そして弱者に向ける視線の優しさ。原点は、やはり下町にあったのだろうか。

(2013年10月17日朝刊掲載)

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