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社説・コラム

『潮流』 積極的平和主義

■論説主幹・江種則貴

 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 地球上から飢餓や貧困、人権抑圧をなくそうと呼び掛ける日本国憲法前文の一節だ。平和を脅かす要因をつみ取る道は困難を極めよう。だが、それこそ真の積極的平和主義ではないか。

 一方、戦力の不保持など「しないこと」を列挙した9条を消極的平和主義とみなす向きがある。「じっとしていても平和は来ない」と否定的な意味を込めて。安倍晋三首相も、そう解釈する一人かもしれない。

 きのうの参院代表質問で首相は「国際協調主義に基づく積極的平和主義の考えの下、地域や国際社会の平和や安定に一層貢献していく」と答弁した。

 憲法前文の精神を踏まえたようにも聞こえる。だが「国際協調」を「日米一体」と置き換えるのが、首相の真意ではなかろうか。

 日米同盟の下、集団的自衛権の行使容認へ動く。憲法のたがを外して同盟国の戦争に加担する。それが世界の安定をもたらす。このところ首相が繰り返す積極的平和主義は、とどのつまり、そんな意味だろう。

 自民党の憲法改正草案が首相答弁に似る。「平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」。前文に平和の文言は残る。半面、「恐怖と欠乏から免れ…」のくだりはない。

 首相は積極的平和主義を「新しい日本の自画像」とも語っている。国防軍の創設も重ねるのだろう。そこに、対話と信頼醸成を基調とする9条の精神は感じられない。唾棄すべき消極性とは決して思えないのに。

 今や米国の威信は揺らぐ。同盟に頼るだけが日本の国益とは限るまい。そう考えだすと、やはり疑心暗鬼になる。「積極的」の言葉の裏に「自前の核武装」も潜んではいないかと。

(2013年10月19日朝刊掲載)

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