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社説・コラム

『書評』 戦後歴程 品川正治著 「もう一つの日本」の夢

 「皆が花見酒に浮かれているときこそ、損保は盃(さかずき)に手を出さない」。かつて著者は日本火災海上保険(現在の日本興亜損害保険)の労組専従として、経営陣に進言した。

 1960年、首相池田勇人が「所得倍増計画」を打ち出したころ。戦後社会は「成長」というアクセルを必死に踏んでいた。だが、損保産業はその中で唯一ブレーキ役を果たさなければならない、という持論である。

 後に同社の社長や会長の重責を担い、経済同友会の要職も務める。護憲と平和主義を掲げた経済人はこの夏、89年の生を終えた。その信条は最後までぶれることなく―。

 戦時中は陸軍の一兵卒。中国戦線に送られた。旧制三高(現在の京都大)時代、生徒総代として「軍人勅諭読み替え事件」の責任を取った。幸い、生きて復員する船の中で新憲法草案を、回し読みされてよれよれになった新聞で知る。9条との出会いだった。

 著者には「講座派」マルクス経済学の視座がある。敗戦は日本が「もう一つの日本」に変わる可能性を示した、とみた。だが長くは続かない。「逆コース」だ。以来、対米従属と引き換えの独立や繁栄をよしとせず、自分は何をなすべきか、自問した。それが人を大切にする「日本型資本主義」の提唱につながる。

 2008年のリーマン・ショック後には「年越し派遣村」を格差社会の縮図と憂え、日本型資本主義で最も重視すべきは雇用だと主張。法人減税には疑問を呈した。

 著者は「アベノミクス」なる現政権の経済政策の行く末を見ることなく旅立つ。悔やんでいるだろうか。いや、あとがきには「私は悲観はしていない」とある。誰かがブレーキをかけてくれると信じたに違いない。

 三光汽船倒産やリクルート事件も独特の現場感覚で語られる。もうひとつの戦後経済史である。(佐田尾信作・論説副主幹)

岩波書店・1890円

(2013年10月20日朝刊掲載)

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