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社説・コラム

『言』 ヘイトスピーチと在日 違いを認め合う社会に

◆韓国民団広島県本部団長 沈勝義さん

 特定の民族や国籍に侮辱的な言動を浴びせるヘイトスピーチ(憎悪表現)を繰り返した団体の行為を、京都地裁が「人種差別に該当する」と断じた。だが、ネット上では不特定多数による差別的な発言が続き、日本が植民地統治した朝鮮半島の出身の在日コリアンを攻撃している。韓国民団広島県本部団長の沈勝義さん(56)は「歴史の未清算とつながっている」と問い掛ける。(聞き手は編集委員・西本雅実、写真・今田豊)

 ―韓国建国記念の日の今月3日、広島総領事館主催の行事で「私の古里は三次。古里を愛する気持ちは日本の皆さんと変わらない」と述べました。
 来賓の広島県副知事や広島市長をはじめ日本の方々に、在日の存在や思いを認識してほしかった。華やかな国際交流の場でどうかなとも考えたけれど、在日が地域社会に根差して生きていることをアピールするのが、僕の務めだと思ったからです。

 ―「心が痛む」とヘイトスピーチにも言及しました。
 「日本からたたき出せ」と、東京や大阪の街頭での罵詈(ばり)雑言に、僕らが先頭に立って抗議すべきだという声もあるが、それをすれば対立が増すでしょう。幸い、「やめろ」と訴える日本のグループが現れました。

 ―判決を下された団体ならずとも、ネットで在日を当てこする書き込みが絶えません。
 若者の就職難など厳しい生活を強いられている人たちが現にいる。それを在日が特権を得ているとありもしない理由をこじつけて、怒りや不満の矛先を向ける。間違った見方です。社会のあり方をきちんと議論してほしい。その意味でも政治家の行動と責任が重要だと思います。

 ―かつてあった、あからさまな差別は薄れているのでは。
 僕のことでいえば幼いころは「チョーセン」とからかわれた。中学生のころ、いっそ日本国籍になってしまえば、と思ったこともある。重荷でした。

 それが19歳で同胞の青年会活動に参加して本名を名乗り、歴史を学び、在日のとらえ方が変わった。母校でもあり、息子や娘が本名で通った三次小・中のPTA会長を引き受け、今は三次商工会議所常議員も務めています。地域社会の一員である在日の生き方につながりました。

 ―しかし、在日を阻む現実は依然としてありませんか。
 学校で本名宣言をするのはいいが、就職する時になかなかうまくいかない。通称名(日本名)で受けて合格しても、逆につらくなる。在日への差別的な感覚は社会からなくなっていません。ヘイトスピーチはその極端な言動の表れです。

 ―日韓の昨年の往来者数は556万人と過去最高ですが。
 植民地支配した歴史から韓国・朝鮮人を見下す日本社会の意識は続いているのではないでしょうか。過去の清算ができていない。在日にとって本国と日本との関係はデリケートだし、非常に大切に思っています。慰安婦の補償問題に対する日本政府の姿勢にも、李明博(イミョンバク)前大統領が政権末期の昨年に独島(トクト)(島根県竹島)に上陸したことにも不満を覚えます。

 ―一方で韓国・朝鮮籍の特別永住者は減少し、1980年代の60万人台が、昨年は約37万人です。危機感を覚えませんか。
 85年の改正国籍法の実施で、夫婦どちらかが日本人なら子どもは日本国籍を取得できるようになった。国際結婚の多い若い在日世代の子はどんどん日本国籍になっています。その影響で民団の団員は広島でも高齢化しています。

 そこで僕は今、おじいさん、おばあさんにこう呼び掛けています。なぜ日本に来たのか、どう生きてきたのかを伝えてください、と。子や孫が日本国籍になり日本人のように育ったとしても、就職や結婚という人生の節目で出身を聞かされると、本人は冷静に受け止めにくい。

 ―若い人も誇りを持って生きていくべきだと思うのですね。
 日本社会は同調性が強く、他人と違うことを嫌う。でも若い世代には在日であることが分かる生き方をし、それぞれの地域と積極的に関わってほしい。身近に民族や国籍が違う人がいる歴史と現実を理解し合えば、ヘイトスピーチを生み出さない社会になると信じています。

シム・スンウィ
 三次市生まれ。本籍は韓国慶尚南道陜川郡青徳面。76年亡き父と備北清掃社を設立。経営の傍ら同胞の青年会活動や権益擁護などに当たり、ことし3月、在日本大韓民国民団広島県地方本部団長に就任。任期は1期3年。在日3世の妻との間に1男1女。長女は韓国留学中。三次市在住。

(2013年10月23日朝刊掲載)

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