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社説・コラム

<評伝> 入野忠芳さん 美術への熱 生涯失わず

 広島拘置所(広島市中区)をぐるりと囲む大壁画の作者として知られる入野忠芳さん。今春、その修復を執念で完遂し、半年とたたないうちの訃報だった。登山で鍛えたタフさで知られただけに早すぎる印象だが、最期の日々は達成感に包まれていたと思う。

 率直な物言いを貫き、美術の論客としてもタフだった。今夏、文化面の連載「生きて」のために聞き取りをさせてもらった中で最も印象深かったのは、ひたすら画布に向かい、友と議論した青春の日々のこと。その熱を生涯、失わなかった人だった。

 5歳の時、左手を失う事故と被爆を体験する。劣等感を抱えて引っ込み思案になったが、中学で親友と美術に打ち込む中で、めきめきと自信をつけていく。宣教師になるか画家になるかで悩んだゴッホに共感し、「絵というのは生き方の問題なんだ」と確信する。  「原爆で多くの人が死んだ。自分はどう生きるべきか。そういう意識だった」と振り返った。

 画家として評価を確立するのは、1975年に現代日本美術展大賞を射止めた「裂罅(れっか)」シリーズ。ひび割れ、引き裂かれる球体を、油絵の具を新聞紙で拭き取っていく独特の描法で表現した。「裂罅を含め、全ての作品はヒロシマを描いている」とも語った。

 被爆体験を直接描いた絵本「もえたじゃがいも」(89年、汐文社刊)は、油絵や壁画の陰に隠れた名作といえるだろう。ゆでたジャガイモを囲んだ8月6日の朝の食卓で、母に「もう1個だけちょうだい」とせがむ作中の子どもは、入野さん自身だ。

 爆風で吹き飛ばされたその子は、ふらふらと立ち上がると、自力で山に逃れていく。そして、燃える街を見て「あのジャガイモ、食っときゃよかった」と悔やむ。

 小さなイモ一つさえ消せない記憶にしてしまう戦争の痛みとともに、それに負けない命の力が伝わってくる。それは、大きなコイや鯨、竜が躍動するあの壁画を見るたびに、誰もが感じる力でもあるだろう。(道面雅量)

(2013年10月25日朝刊掲載)

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