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社説・コラム

今を読む 核不使用声明に日本賛同

2020東京五輪 核兵器禁止条約への一歩に

 10月22日、日本政府は、国連総会でニュージーランドなどの主導でまとめた「核兵器の非人道性と不使用を訴える共同声明」に賛同署名した。これは画期的な一歩である。日本はこれまでに数回、同様の声明に対して署名を拒んできた。しかし、今回は、政府の態度を変えなければならないほど世論の圧力が強まった。

 広島・長崎両市長、各地の非政府組織(NGO)、そして核兵器廃絶を強く願う被爆者や市民の声が、政府を動かしたのだ。こうした成果は、市民活動の活性化やインターネットの充実など、多くの要素が重なっているだろう。確かなことは、核兵器に関して、民意が政府の核政策に影響を与えたことである。今回の出来事を「画期的」と感じるのも、この点においてである。

 だが、日本の賛同署名が、「核兵器廃絶」への新しい時代の幕開けを、必ずしも意味するものではない。私たちは、日本政府の発言や今後の判断を、注意深く見守っていかねばならない。政府の行動次第で、核兵器廃絶への道が、推進派と消極派との「いたちごっこ」に陥る懸念があるからだ。なぜか? その理由を説明しよう。

 9月26日、世界で初めて、核軍縮に関する国連総会ハイレベル会合が開かれた。その会合で安倍晋三首相は、こう訴えた。「東京での開催が決まった2020年の夏季オリンピック・パラリンピックの期間中は、広島と長崎の原爆忌とも重なります。世界の皆さんと共に、平和を考えるスポーツの祭典にしたいと考えています。最後に、核兵器国、非核兵器国という立場を越えて、今こそ核兵器廃絶に向けて国際社会が総力を結集するときである」と。

 今から7年後の2020年は、被爆75年に当たる。安倍首相は「オリンピック期間中に平和を考える」と述べた。もちろん、平和を考えることは、いつでも素晴らしいことである。が、残念なのは、安倍首相が核兵器廃絶に向けて国際社会の結集を訴えながら、スイスやノルウェー、赤十字国際委員会、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)などの主導で生まれた、新しい廃絶への取り組みについて言及しなかったことである。今回、日本が署名した共同声明は、まさにこの取り組みの中から生み出されたのだ。

 また、2020年開催の東京五輪について語るなら、その時点までに核兵器廃絶の達成を目指す、平和首長会議の「2020ビジョン・キャンペーン」についても触れることができたはずである。広島・長崎両市がリードする平和市長会議には、現在、157カ国、5700以上の都市が加盟している。安倍首相は、これらのキャンペーンについても確実に知っていたはずである。

 今年4月、スイス・ジュネーブであった2015年核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けた第2回準備委員会。南アフリカはその委員会で、「核兵器の人道的影響に関する共同声明」を発表し、最終的に80カ国が賛同した。だが、日本は「いかなる状況下でも」という文言があったために、署名を拒否した。

 「いかなる状況下でも核兵器が再び使用されないことが人類生存に寄与する」との声明に、日本は「いかなる状況下でも」の文言を修正してくれるならば、署名をすると提案し、署名条件にしたが、受け入れられなかった。

 日本が修正を求めた背景には、「状況によっては、米国が核兵器を使用して日本を守ってほしい」との意図があったからであろう。核兵器使用を全面的に禁止するような宣言に署名できなかったのだ。これが国際社会における日本の実際の姿であり、日本がこれまで大きな声で言い続けてきた「核兵器廃絶」という公約と、現実の姿とは大きく矛盾する。

 日本が署名を拒否した共同声明は、核兵器の破滅的なまでの破壊力と非人道性を浮きぼりにしている。署名国は声明を通じて、次のようなメッセージを伝えているのだ。

 「核兵器は危険すぎる。一つの水爆が大都市に投下されれば、何百万人もが殺され、赤十字や、どの国にとっても、救護の域を超えた空前の大災害になる。多くの都市に10~15個の大きな威力を有する核爆弾を使用すれば、(5百万トンの粒子が空中に放出されたなら…)、『核の暗闇』を引き起こす。それは少なくとも10年間、地球規模で農業生産を狂わせ、何十億人が餓死するであろう。数百個の水爆使用は、本格的な『核の冬』を引き起こし、ほとんどの人間は死ぬであろう。このような非人道的な破壊は受け入れられない。だからこそ、核兵器は絶対に使用されてはならないし、一刻も早く廃絶すべきである」

 日本が声明に賛同しないということは、事実上、「日本を攻撃から守るために、必要であれば、人類の文明を破壊し、何十億、いや全人類を破滅に導いても、米国に核兵器を使ってほしい」と依頼するようなものである。もっとも、このような考えを安倍首相や岸田文雄外相が持っているとは思えない。だからこそ、今回、方針を変えざるを得なかったのだ。

 日本は核兵器がもたらす破滅的な人道上の結果を、一番深く理解している国である。それゆえに、新しく生まれた核廃絶への国際的な動きは、日本に厄介な自己矛盾をもたらせた。破滅的結果から世界を守ろうとしている反核運動や声明に対して、日本が参加を拒否してきたその姿は、国際的なスキャンダルになっていた。「核のない世界」を求めながら、一方で「核の傘」に頼るという矛盾した立場に、気づかざるを得なくなったのである。

 こうした自己矛盾に押しやられた国は、日本だけではない。核廃絶を求める新たな取り組みの考案者たちが意図したかどうかは別に、この取り組みよって、二つの顔を持つ国の本音が表にあぶり出されている。日本、オーストラリア、ドイツなどは、「核のない世界を実現したい」と道理にかなったことを言いながら、核廃絶を目指す実質的で真剣な取り組みには、常に核保有国の手助けをしてきた。

 だが、もはや核兵器に頼ろうとする立場と、核兵器をなくそうとする立場のどちらを表明するか迫られているのだ。幸いなことに、日本は、今回の声明に、他の124カ国とともに加わることで、一歩を踏み出したのだ。

 核保有国や核兵器に頼ろうとしている国々は、常に次のように主張している。「米国とロシアは、核兵器の数を減らしており、すべて順調に進んでいる。この道をはずれずに行こう。最も有効な核廃絶の方法は、NPTにのっとって、段階的に進めるやり方である」と。 核兵器依存国家は、もちろん、今のやり方を気に入っている。彼らは、核交渉の場を完全に支配できるからだ。どのような挑戦があっても、100パーセント合意の枠組みの下、拒否権を行使できるからである。核保有国の動きを見ても、核の特権を無期限に維持するために、さまざまな計画や予算が組まれていることは明らかだ。

 非核保有国は、そのことをよく知っている。だからこそ、「段階式方式」は、核廃絶に役立つよりも、妨げになっているのである。実際、核保有国が核兵器にしがみつくことで、核拡散が進み、世界中に核保有国が増える状況を生み出しているのだ。イスラエルが、中東で唯一の核保有国であることを、アラブ諸国はいつまで許すことができるだろうか。そして、もし核兵器が、核保有9カ国の安全保障にとって重要だとしたら、核兵器による安全保障を求める国々の意志を拒否できるだろうか。

 一方、核廃絶を求める新しい運動主体は、核保有国に対して次のように方向転換を迫っているのである。

 「核保有国よ、この問題を解決してしまおう。あなたたちは40年以上も廃絶を約束していながら、実行していない。われわれはもう待てない。世界はだれが核兵器を持とうとしているかを、もはやコントロールできなくなってきている。だから、各国が核を入手する前に、あなたたちの核兵器を手放しなさい。われわれは核抑止論をもう聞きたくない。あなたたちの国益や、国家安全保障についても聞きたくない。どのような理由があっても、だれも文明を破壊したり、人類すべてを殺したりする権利などはない!ぐずぐずするのはもうやめて、極めつきの非人道兵器を廃絶しよう。そうしなければ、われわれは正式な核兵器禁止条約を、100パーセントのコンセンサスでない枠組みであっても提出する。そうすることで、世界中の圧倒的多数が、核兵器は違法で、不道徳なものであり、使用することは戦争犯罪であると考えていることを、地球上のすべての人々が知ることになろう」

 むろん、共同声明ではこうした主張は、非常にやさしく、ていねいに表現されている。それでも、今、核保有国は困惑しているのである。想像してみてほしい。多くの非核兵器国が核抑止論を否定して、自分たちで核兵器禁止条約をつくろうとしているのである。従来なら考えられないことだったけれども、これは実際に起こっている出来事である。そして、核廃絶を強く希求する勢力は、この「闘い」に日本が同じ側に立ってくれたことに鼓舞されているのだ。

 日本は、核に関するすべてのことで、世界のキープレイヤーである。日本は、核廃絶へのこの新しい潮流を無視できないほどの「うねり」に育てるための、政治的・社会的・経済的な力をもっている。世界の国々の中で、ヒーローになる機会を与えられているのだ。あの悲劇から68年余、いつ牙をむくかわからない不気味な怪物を退治する勇敢な騎士になれるのである。もし日本人が、中国やロシア、韓国や北朝鮮、そして世界の国々から、「愛と称賛」という本当の安全保障を望むのなら、今こそ立ち上がり、できるだけ大きな声で「さあ、みんなで進めよう!」と叫ぶべきである。そうすれば、日本の平和への強い意思が、世界のだれにも伝わるだろう。

 幸い、広島や長崎、そしてその他の多くの人々が、新しい反核の取り組みに賛同の声を挙げており、その効果は出始めている。ニュージーランドの声明は、広く支持された「新しい運動」の成果である。その声明には、「いかなる状況下」でも、核兵器は決して使われてはならない、と明確に述べている。

 日本の署名は大きな前進である。だが、世界の核廃絶運動家たちが、懸念を抱いているのも事実だ。「本当に日本は、核廃絶に向けたこの潮流を強化し、核による大量虐殺からわれわれを守る手助けをしてくれるのだろうか」と。

 もし、日本がまだ、核廃絶を唱えながら核抑止力に依存するようなあいまいな立場を取り続けるのであれば、新しい運動の推進力は内部から弱まり、ニュージーランドが発した共同声明のように内容が薄められ、核兵器禁止とは反対方向に向かうことにならないだろうか。

 廃絶に向けた国際社会の輪に加わりながら、「段階的削減」の論理を再び持ち出し、核兵器の違法化の動きに歯止めをかけるような働きをするなら、核なき世界の実現に向かって真摯(しんし)に取り組んでいる人々や国々の大きな反感をかうだろう。

 また、「声明には賛同するが、その声明に拘束されるつもりはない」などという自身が署名した声明を軽視するよう姿勢も、国際的には許されない。そうした事態になれば、新しい軍縮の流れは、廃絶派と消極派との「いたちごっこ」に引き込まれてしまう。

 日本の参加が真に建設的なものとなるには、被爆地広島・長崎をはじめ、日本の市民社会から政府への働きかけが不可欠だ。とりわけ、今後半年間、日本のみなさんの廃絶への願いを、具体的な形で、明確に表すことが肝要である。そうすれば、安倍首相も意を強くして、みなさんの願いを体現してくれるだろう。

 来年4月には広島で、非核保有12カ国の外相が参加する「軍縮・核不拡散イニシアチブ(NPDI)」が開催される。安倍首相の後ろにしっかりと日本人が立っていれば、彼はあいさつで大胆にこう言えるだろう。

 「東京オリンピックは長崎の原爆の日に終了します。それまでに、スポーツ以外で最もホットな世界の話題は、新しい核兵器禁止条約となることでしょう。2015年に署名が求められ、2020年までに少なくとも170カ国が署名して、明確に世界の意思となることです。われわれのゴールは、東京オリンピックが核時代の終わりとなり、人類が破滅の恐怖から解放される核兵器禁止条約に向けて交渉開始を祝う、栄光の地球の『お祭り』になることです。そのために、やるべきことはたくさんあります。さあ、みなさん、始めましょう!」

広島女学院大客員教授 スティーブン・リーパー
 47年米イリノイ州生まれ。78年ウエストジョージア大で修士号(臨床心理学)取得。01年平和市長会議での活動を始め、02年に同会議常勤米国代表。07年4月から6年間、公益財団法人広島平和文化センター理事長を務める。ことし9月から現職。

(2013年11月2日朝刊掲載)

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