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社説・コラム

社説 米新型核実験 国際世論に背向けるな

 米国が核兵器の性能を調べる新たなタイプの核実験をニューメキシコ州のサンディア国立研究所で行っていたことが、またも明らかになった。通算で10回を数える。

 日本政府もようやく賛同した上で、核兵器の非人道性と不使用を訴える国連での共同声明が発表されたばかりである。世界の潮流に背を向ける暴挙に、怒りと失望を禁じ得ない。

 実験装置で強力なエックス線を出し、核弾頭の起爆に近い超高温、超高圧の状態をつくる。プルトニウムの反応についてデータを取り、「核兵器の安全性や確実性に役立てる」という。

 核兵器を持ち続けるための実験であることに違いはない。

 「核兵器なき世界」を唱えてノーベル平和賞まで受賞していながら、オバマ大統領は核軍縮の加速に期待した国際社会をどこまで裏切るのか。

 ところが実験の継続を再考する気配はみられない。核兵器の維持は数多くの工程から成り立っているのに、なぜ一部の実験を取り上げて反対するのか。そんな強弁すら聞こえてきそうだ。被爆地の認識との落差はあまりに大きい。

 米国の国内事情と切り離せない。オバマ政権にとって、爆発を伴う核実験を禁止する包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准は「悲願」といえる。新たな核開発国の出現を阻む役割が期待できるからだ。臨界前核実験と並び新型核実験は、皮肉にもCTBTに背くことなく強力な核戦力を維持する切り札だと捉えている。

 このため新型核実験は、議会に条約をアピールする材料になっているともいえる。

 批准には上院の承認が必要だが、14年前に否決されたまま。CTBTを受け入れれば核大国の地位は危うくなる、という議会保守派の反発は依然根強い。

 これに対し、批准しても爆発を伴わない実験はできるから核戦力は十分に保持できる、とオバマ政権は主張する。

 自国や同盟国にとって究極の状況になれば先制使用もできるよう、核兵器は万全の状態にしておく。それが米国の核政策である。この前提がある限り、米国が新型核実験を諦めるとは思えない。個別の実験を指弾するにとどまらず、米核戦略の根本から問いただしていかなければなるまい。

 米国は核弾頭の維持や性能の向上だけで年間2兆円相当を使っているといわれている。新型核実験の費用は、その一部にすぎない。弾頭を載せるミサイルや潜水艦、爆撃機なども含めれば5兆円以上という推測もある。日本の防衛費に匹敵する核兵器予算は、強固な軍需産業の維持策でもある。

 だが財政危機は深刻さを増すばかりである。冷戦はとうに終わり、先制使用シナリオを伴う大量の核保有は「いまや危険過ぎる」と米国内の元政府要人らが声を上げるに至っている。

 今からでも遅くはない。国際的な潮流と向き合うときではないか。

 「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われないことが人類の生存につながる」。強大な核抑止力を誇るより、共同声明の文言を重く受け止めるべきである。それを「核の傘」としてすがる国も同様に問われていることは、いうまでもない。

(2013年11月1日朝刊掲載)

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