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社説・コラム

『論』 「漸進的」核廃絶 次こそ禁止条約決議を

■論説主幹 江種則貴

 外務省は自画自賛しているようだ。しかし被爆地からすれば、「ちょっと待った」と声を上げたくもなる。

 国連総会の第1委員会(軍縮)が4日、日本政府が提案した「核兵器の全面的廃絶に向けた共同行動」決議案を圧倒的多数で採択した。

 決議はこれで20年連続。節目の今回は、米国も含めて過去最多の102カ国が共同提案し、核兵器を持つ英国やフランスも賛同した。

 これで被爆国や保有国をはじめ、世界が核兵器廃絶へと動きだす。そう願いたいところだが、残念ながら、手放しで喜ぶのは早計であろう。

 決議文はこんな言葉で始まる。「すべての国が核兵器の全面的廃絶に向け、さらなる実際的、実効的措置を取る必要性を想起し、国際社会が共同行動を取ることを決意…」

 この「実際的、実効的」という文言に引っかかりを覚える。つい半月前の岸田文雄外相の発言を思い出す。

 日本政府がそれまでの姿勢を百八十度転換し、国際社会の核不使用共同声明に初めて賛同した時のこと。外相は記者団に理由を説明した。「わが国の現実的かつ漸進的な核軍縮に向けてのアプローチ、安全保障政策とも整合性があると判断した」

 この「現実的、漸進的」というくだりは、決議の「実際的、実効的」とほぼ同じ意味だと考えて差し支えなかろう。これらの言葉が政府の基本スタンスを雄弁に物語る。

 被爆国として核兵器の非人道性を訴え、核軍縮の取り組みで世界をリードしてきた自負はある。「いかなる状況下でも使ってはならない」との言葉に一時的に異議を挟んだが、被爆地から総スカンを受けて改めた。とはいえ国際社会の現実を見れば、廃絶はまだ遠い。だから当面、軍縮を漸進的に進める―。

 漸進的とは裏返せば、核兵器廃絶を求める急進的な動きを否定し、そうした動きに同調することも拒む意味合いなのだろう。例えば、被爆地が求める「核兵器禁止条約」という文言は、今回の決議にも声明にも見当たらない。

 被爆国に「核の傘」を差し掛ける米国のオバマ大統領の考えとも符合する。

 オバマ氏は6月のベルリン演説で「核兵器が存在する限り、われわれは真に安全ではない」と廃絶への決意を述べた。同時に、世界に核兵器がある限り自国や同盟国を守る核抑止力は維持する、と付け加えることを忘れなかった。

 華々しく廃絶をうたい上げてノーベル平和賞を受けたオバマ氏としても、当面は漸進的な軍縮と拡散防止が現実課題だと言いたいのだろう。

 とはいえ被爆地の一員として日米両政府に問いたい。軍縮の行き着く先に核のない世界が見えますか、あらゆる保有国が自らの意志で核兵器を減らし最後は全てを手放すでしょうか、と。

 廃絶と軍縮とを分けて考えた方が、道筋はすっきりすると思えてならない。そこは日本政府も分かっているのだろう。今回の国連決議について慣例的に「核廃絶決議」と呼び習わすマスコミが本紙も含めて多いが、内容からすれば「核軍縮決議」が妥当。実は当の外務省がホームページでそう表現している。

 ならば来年の国連総会には核兵器禁止条約を盛り込んだ真の「廃絶決議」を提案してはどうか。全ての保有国に賛同を迫ることこそ、被爆国の果たすべき責務であろう。

 国際社会は、対人地雷やクラスター弾、化学兵器や生物兵器の禁止条約を実現してきた。「今度は核兵器」との訴えが時期尚早とはいえまい。むしろ、まさに漸進的な次の一歩ではないか。

(2013年11月7日朝刊掲載)

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