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社説・コラム

ルワンダ支援 NGOの佐々木さんに聞く 和解の歩み 共同で家造り ヒロシマとの連携期待

 民族間の対立から1994年に大虐殺が起きたアフリカ中部の小国ルワンダ。キリスト教系の非政府組織(NGO)のメンバーとして2005年から現地で支援活動を続ける佐々木和之さん(47)=横浜市出身=が、帰国報告会のため広島市を訪れたのを機に、大虐殺の背景や民族和解の現状について聞いた。(増田咲子)

 ―多数派のフツ系民族による少数派のツチ系の大虐殺で80万~100万人が犠牲になったと推定されています。背景は何ですか。
 民族間の分断は、ベルギーによる植民地時代に深まった。ベルギーは身分証明書にフツ、ツチという民族を記載させ、それまであいまいだった区別を明確化。少数派のツチ系にだけ行政の重要ポストを独占させ、教育の機会を提供するなど優遇した。ツチ系が憎まれ役になり、植民地支配への不満がベルギーには向かないようにしていたのだ。

 1962年に独立した後、多数派のフツ系が政権を掌握した。しかし90年、隣国ウガンダへ避難していたツチ系が主体の「ルワンダ愛国戦線」がルワンダに侵攻し、内戦状態になった。94年4月のフツ系の大統領暗殺を機に大虐殺が始まった。

 ―殺害には多くの一般市民が加わりました。隣人同士の殺りくという悲劇は、なぜ生まれたのでしょうか。
 加害者への聞き取りで、フツ系の多くは憎しみから虐殺に関わったのではないことが分かった。ルワンダ愛国戦線に対する恐怖心ばかりではなく、「フツ系政府の命令に従わなければ、自分たちが殺される」と考えたのだ。農業用のなたやこん棒といった生活用具が武器になった。

 ―民族間の和解は進んでいますか。
 虐殺や暴行で有罪判決を受けたのは約15万人とされる。加害者の大半が刑期を終えて地域社会に戻ってきている今こそ、和解が必要だ。出身民族を示す身分証明書は廃止されたが、両民族の溝はそう簡単には埋まらない。

 ―問題解決のため、どのような支援をしていますか。
 加害者による被害者のための家造りを支援している。最初は加害者が謝罪しても、半信半疑の被害者が少なくなかった。しかし家造りを通して、謝罪は本物であることが伝わっていった。被害者も家造りに加わるようになるなど少しずつ両者の関係が変わっている。

 今春には、被害者と加害者が共同で豚舎を建て豚を育てる取り組みも始めた。今後も、和解のための草の根の取り組みを広げたい。

 南部の都市ブタレにあるプロテスタント系の大学に、ルワンダ初の平和学科を創設し、平和構築や紛争解決について教えている。近隣諸国からの留学生もいる。若者が民族や国の違いを乗り越え、平和のために働けるようになってほしい。

 ―被爆地広島の若者たちに、何かできることがありますか。
 原爆という悲惨な体験から復興したヒロシマは、世界の人々の希望だ。同時に、ルワンダの和解の取り組みも人々に勇気を与える。互いに励まし合い、戦争のない世界をつくるため行動してほしい。

ささき・かずゆき
 65年横浜市生まれ。鹿児島大農学部卒。米コーネル大国際農業・農村開発修士課程修了。英ブラッドフォード大平和学博士課程修了。この間、88年から通算8年余り、エチオピアで農村の自立を支援。00年にルワンダを訪れ、虐殺の傷痕に衝撃を受け、05年から現地のキリスト教系非政府組織(NGO)で支援活動をしている。

ルワンダ
 アフリカ内陸部の小国。面積は四国の約1.5倍の2万6千平方キロ。人口は1130万人。1889年にドイツ保護領になり、第1次世界大戦後はベルギーの信託統治領になった。1962年、ベルギーから独立。94年4~6月、フツ系によるツチ系とフツ系穏健派の大虐殺が起き、80万~100万人が犠牲になったとされる。

(2013年11月12日朝刊掲載)

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