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社説・コラム

『書評』 ヒロシマに咲いた希望 赤ヘル1975 重松清さん28日出版 

 中国短編文学賞選者の作家重松清さん(50)=津山市生まれ=が、新刊の長編小説「赤ヘル1975」(写真・講談社)を28日に出す。広島東洋カープが初優勝した1975年の広島が舞台。被爆から30年を迎えたヒロシマでの弱小球団の快進撃を背景に、少年たちの友情を描いている。(石井雄一)

 カープの帽子とヘルメットが濃紺から赤に変わった75年。広島に東京から転校してきた中学1年のマナブが、同級生ヤスやユキオ、真理子たちと絆を強めながら、被爆から30年たっても痛みを抱える大人たちや街と向き合っていく姿をつづる。

自らも転校生

 自らも少年時代に転校を繰り返した重松さん。74年に山口に転校し、75年はマナブと同じ中1だった。「もし、自分が広島に転校していたら、どんな感じで赤ヘルの優勝を見たり、広島の原爆と向き合ったりしたんだろう」。そんな思いも巡らせた。

 「転校のベテラン」のマナブは、級友たちとなじもうと、ヒロシマを必死に知ろうとする。被爆した祖母と、当時少年だった父親を後遺症で失ったヤスは、そんなマナブを「よそモン」と言い切る。

 2人は時にぶつかりながら、家族以上にお互いを大切に思えるほど友情を深めていく。その姿を広島弁でも言う「連れ」と表現した。「おそらく、今の中1の友達関係とは違うと思う。でも、『あー、いいな』と思えるはず」と力を込める。

 広島にとってカープの初優勝は、スポーツにとどまらない意味を持つ。「今以上に、東京に対するコンプレックスがあったはず」。前年まで3年連続最下位の弱小球団が、巨人の目の前で優勝を決める。被爆30年で、ようやく東京と並び「わしらもやれる」と、市民に希望をもたらした。

 物語は、月刊文芸誌「小説現代」(講談社)で、2011年8月号から13年7月号までの連載を大幅に書き直し、単行本化した。

街に溶け込む

 執筆に際して、新聞記事や写真を集め、当時を知る人を訪ねて話を聞いた。カープが、広島の街やそこで暮らす人たちの日常に溶け込んでいる、その近さを感じたという。

 連載を始めようとしていた頃、東日本大震災が起きた。被災地で、がれきの山を目の当たりにし、被災者の悲しみや苦しみにも接した。「(カープの初優勝は)原爆で廃虚になった街から30年後に咲いた希望の花。そうしたニュアンスは濃くなった」と語る。

 75年は戦争の傷痕の生々しさがなお残っていた。ベトナム戦争が終結し、広島では新幹線が開通した年でもあった。「自分が、その世代の一人だったのは、小説を書いたり、ものを考えたりする時にやっぱり残っている」。広島にとっても自身にとっても、大きな節目と振り返る。

 「赤ヘル1975」は四六判、512ページ。1890円。

(2013年11月23日朝刊掲載)

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