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社説・コラム

『言』 下田判決50年 原爆の非人道性 今に問う

◆日本反核法律家協会理事・内藤雅義弁護士

 原爆投下は国際法に違反する―。半世紀前の12月、被爆者が日本政府を訴えた「下田事件」の東京地裁判決で歴史的な判断が示された。いまだに大量の核兵器が存在する現代に、何を問い掛けているだろうか。この裁判の記念シンポジウムを東京都内で主催した日本反核法律家協会の理事、内藤雅義弁護士(63)に聞いた。(聞き手は論説委員・金崎由美、写真・坂田一浩)

 ―当時、裁判にはどんな時代的背景があったのでしょうか。
 東京裁判の被告弁護を担当した大阪の岡本尚一弁護士が主導し、1955年に広島の被爆者下田隆一さんらと遺族が提起しました。何の法的救済もないまま苦しんでいた被爆者を思い「戦勝国なら何でも許されるのか」と憤ったのが動機でした。

 ―米国ではなく日本政府を訴えた意味は。
 米国に訴訟を持ち込もうとしましたが、現地の弁護士から高額の費用を提示され断念したそうです。そこで「サンフランシスコ講和条約で対米請求権を放棄したというなら日本政府が補償すべきだ」としたのです。

 ―原告側も奮闘したのでしょうが、日本の裁判所が原爆使用の法的責任を正面から断じたことは驚きです。
 国際法上の人道の概念が乏しい時代でした。核兵器使用禁止を明文化した条約は今もない。それでも「軍事目標以外を攻撃してはならない。不必要な苦痛を与えてはならない」という既存の国際法の原則から、違法性を導き出したのです。原爆の非人道性を前提とした判断であることは言うまでもありません。

 ―損害賠償請求は認めず、原告敗訴となりました。
 単に請求を退けたのではありません。結果責任として原爆被害を国が補償する必要性に言及し、政治の無策を指弾しました。諸手当の支給を定めた旧原爆特別措置法の制定を促したとされています。被爆者が控訴しなかったため、国際法をめぐる判断も含め確定しています。

 ―岡本弁護士らが果たせなかった目的のその後は。
 法に照らして誤った行為だという評価が下れば一定の制裁を科し、再発の防止策につなげる。それが法的に問うという意味です。反核法律家協会でも、あらためて原爆投下の違法性を米国で問う道を模索したことがあります。しかし、戦争被害をめぐり海外から個人が裁判を起こすことには、米国の国内法上困難を伴うのが現実です。

 裁判という形でなくても最低限、「あれは間違っていた」と認めるよう求め続けることに変わりありません。再発防止として核兵器廃絶を迫る。被爆者の願いでもあるはずです。

 ―核兵器の非人道性という観点から、核兵器禁止条約も見据えた機運が出てきています。
 国際人道法に基づいて活動する赤十字国際委員会は「核兵器が使用されたら救護活動は不可能」と強調しています。ノルウェー外務省が昨年主催した国際会議は、核による気候変動などの問題を議論しています。原爆裁判や「核兵器の使用と威嚇は一般的に国際法違反」とした国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見の先を行く視点です。

 ―原爆症訴訟を通して被爆者と接してきた立場から、どう受け止めていますか。
 被爆者と話すと「あんな兵器が再び使われたら人類全体が脅かされる」と実感していることが伝わってきます。このような体験を、国際的な流れの中でもっと訴えていくべきです。

 私の父は裁判官として赴任した広島で被爆しましたが、体験を語ることはなく、被爆者健康手帳も取得しませんでした。甚大な被害の当事者であるほど、語ることはつらい。差別につながる場合はなおさらです。それでも、犠牲者や未来のことを思って声を上げる人がいます。何より説得力を持つと信じます。

 ―日本政府の現在の姿勢は50年前と比べてどうでしょう。
 核兵器使用は国際法上も違法ではない、というのが原爆裁判での主張でした。ICJに提出した意見陳述書でも、最近の国連での「核兵器不使用」声明への対応でも、変わっていない。核抑止力に頼っている限り、大胆な変化は期待できません。自国を動かせるか、私たちが問われていると思います。

ないとう・まさよし
 東京都港区生まれ。都立大卒業。77年弁護士登録。東京HIV訴訟、ハンセン病国家賠償訴訟、東京大空襲集団訴訟、原爆症認定集団訴訟などを担当。現在ノーモアヒバクシャ訴訟で東京弁護団長を務める。「核兵器廃絶日本NGO連絡会」共同世話人。東京弁護士会所属。

(2013年12月25日朝刊掲載)

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