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社説・コラム

『言』 真宗移民の3・11 歴史から光明見いだそう

■記録映像作家・青原さとしさん

 東日本大震災と原発事故の発生から千日余りが過ぎた。平穏な日々が突然ついえる不条理は、福島県相馬双葉地方(相双地方)の浄土真宗移民の末裔(まつえい)たちをも襲った。200年前の江戸時代、北陸や山陰から命がけで移り住み、辛苦の果てに美田をなした歴史。「その歴史をいま一度ひもとくことが絶望の中に光明を見いだす一助になれば」。被爆地広島の記録映像作家、青原さとしさん(52)は「土徳流離」と名付けた映画を企画し、ロケに入っている。その構想と思いを聞いた。(聞き手は論説副主幹・佐田尾信作、写真・高橋洋史)

 ―相双地方は広島からは遠い土地ですが、きっかけは。
 安芸門徒と僧侶である亡き父をテーマにした僕自身の映画「土徳―焼跡地に生かされて」が始まりですね。10年前、富山県南砺市の真宗大谷派僧侶、太田浩史さんが土徳(土地の恩恵)という言葉に共感し、彼のお寺で上映してくれた。その人たちが震災直後から福島で支援活動を始めていたわけです。

 ―南砺市と南相馬市は友好関係にある。2011年は移民200年の節目だったんですね。
 そうです。節目の行事を考えていたら、震災と原発事故が起きます。こんな時だからこそ真宗移民の歴史を土地の人の記憶にとどめようと、太田さんは小冊子を編みました。その流れで僕に南相馬市などで「土徳」を上映する話があり、太田さんの案内で初めて被災地を撮ったのが12年9月。そして相双地方の真宗寺院や全国の有志による制作実行委員会が昨年7月にできた。それからすぐ、震災でも中断せず続く伝統神事「相馬野馬追」を収録しました。

 ―天明の飢饉(ききん)で人口が激減した相馬中村藩が北陸や鳥取などから入植させた、と聞きます。
 入植への道は多難でした。安芸門徒がそうだったように、真宗には出生児を「間引き」しない伝統があり、人口が増えても食いぶちがない。そのため移民に応じたのでしょうが、当時は幕府の禁を破る行いです。

 薬売りが今でいう情報をやりとりし、門徒は親鸞聖人旧跡巡りと称して通行手形を手に入れ、故郷とは縁切りして出奔した。懐には小さな阿弥陀(あみだ)如来像。今ある真宗寺院は1カ寺を除いて移民と一緒に移ってきたのです。宗派をお東(東本願寺)からお西(西本願寺)に変える工作もしたようです。

 ―土着の人たちとのあつれきはあったでしょうね。
 入植は藩からは厚遇されたため、ねたまれました。しきたりも違う。移民が持ち込んだ火葬は長く忌避され、その家に娘を嫁がせないような時代が続きました。これは今後突き詰めたい点ですが、移民は相馬野馬追にも当初参加しなかったのです。

 ―法然、親鸞以来の専修(せんじゅ)念仏の教えに従ったのですか。
 神祇(じんぎ)不拝ですね。在郷武士による神事ですから。それに野馬追がある7月ごろは移民は田の草取りで忙しい。出ろと言っても出ないから、草取りの道具を火の見やぐらに上げて見せしめにする風習さえ、土着の人の間にはあったそうです。

 ―あつれきはいつの時代まで激しかったのでしょう。
 はっきりとしませんが、昭和初期から戦中まででしょう。時代を経て移民も地域に欠かせぬ存在になり、美田をなして富も得ます。野馬追に参加する人、神棚も置く人が出てくる。結婚の障壁も薄らぎます。それでも固有の文化や信仰は伝え、残してきたんですよ。面白いことに相双地方では、今も真宗は「一向宗」と呼ばれていますね。

 ―現地でロケして、どのようなことに気付きましたか。
 富山県砺波平野の散居村に似た風景が真宗の地域にあります。出雲平野の築地松のように屋敷林に囲まれた民家が広く点在している。ただ土着の家にも屋敷林はあるので、詳しく調べたい。一方、多くの移民の家で植えている「富山柿」は明らかに伝播(でんぱ)したと思われます。

 ―そうして築いた穏やかな暮らしに、想像を絶する苦難が。
 震災後、相馬市と南相馬市の4カ寺で報恩講を撮りました。原発事故で全村避難した飯舘村のお寺が南相馬市の本堂を借りて営んだこともありました。惣報恩講という地区単位の家々の報恩講は今から撮ります。移民200年でこれほどの門徒同士の絆があることに驚きました。

 ―震災と原発事故はそうした絆も断ち切ってしまったと。
 南相馬市のあるお寺では第1原発から20キロの線引きで門徒が分断されたため、寄り合いのたびけんかになり、住職がなだめる。双葉町では墓地に立ち入れず、お骨をどうするかの問題が出ています。おびただしい数の立派な仏壇も放置されているはずです。

 ―それでも人々が絶望の中に光明を見いだす一助になれば、と映画を位置付けています。
 相双地方の移民200年の歴史はさまざまな土地の文化が伝播し、蓄積したものでしょう。それをひもとくことが大切だと思います。命を尊んだことは今の日本でも共感を持って迎えられるのではないでしょうか。

 ―原発事故で全国各地に避難した人たちも追う構想ですね。
 被災者や避難者は今なお政治に翻弄(ほんろう)されています。でも、新天地で新たな暮らしを始め、200年かかっても相馬に帰るという人たちもいます。

 僕が映画に撮りましたが、安芸門徒や広島人も、屋根職人や石工など出稼ぎを余儀なくされる生業に従事してきました。近代にはハワイや北米、南米などにも渡りました。異郷にあって故郷を思う人々の強さを、どうにかして映像で描きたいと思っています。

あおはら・さとし
 広島市中区生まれ。実家は浄土真宗本願寺派寺院。龍谷大卒。民族文化映像研究所で姫田忠義監督に師事。02年からフリー。広島ゆかりのテーマの作品は「土徳―焼跡地に生かされて」のほかに「望郷―広瀬小学校原爆犠牲者をさがして」「藝州かやぶき紀行」「時を鋳込む」など。広島市安佐南区在住。

 映画「土徳流離」は2部構成で15年2月完成予定。現在、制作費協賛金を募っている。

(2014年1月1日朝刊掲載)

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