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社説・コラム

『言』 「非核芸術」の重要性 見えぬ脅威と戦うために

■原爆の図丸木美術館学芸員 岡村幸宣さん

 原爆投下から69年。被爆者から体験を継承できる時間は残り少ない。また福島第1原発事故で放射能の恐怖を再認識しながら、なお日本は原子力依存から脱しきれない。「人類が歩むべき道を考えるためにも、核を告発する芸術に触れてほしい」。原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)の学芸員、岡村幸宣さん(39)が岩波ブックレット「非核芸術案内」を著した。岡村さんにその思いを聞いた。(論説委員・田原直樹、写真も)

 ―今なぜ、非核芸術が重要なのでしょうか。
 原爆の悲惨を訴える作品が数多く制作されてきました。核の危険性を暴き出す役割も。放射能をはじめ「見えない」核の脅威を「見える」よう、作家は表現してきたのです。でも福島の事故から3年もたたないのに、危険性をうやむやにする動きが現れ、国民の間にも「見ようとしない」風潮が出てきそうです。非核芸術に注目すべきときではないでしょうか。

 ―反核でなく非核ですか。
 丸木位里・俊夫妻は原爆に反対するだけでなく、原発事故を予見し、訴える作品も描きました。東京電力には原発分の料金支払いを拒否して抵抗しました。あらゆる核が人間と共存できないとの認識です。核保有が力関係を決める国際情勢を見ても、やはり「非核」が求められる。政治的立場とつながる面もありますが、先入観にとらわれず、原爆投下から今日に至る表現を見つめ、「核」を考える必要があるはずです。

 ―どんな作品がありますか。
 「原爆の図」は占領期に発表され、大きな衝撃を与えました。第五福竜丸事件で原水爆禁止運動が広がり、1950年代に大きなうねりとなります。この時期の非核芸術の特徴は肉体の破壊。同時代の人々の痛みを広く共有する表現です。

 核の平和利用が唱えられて原発が造られ、危機意識が薄れますが、70年代から再び盛り上がります。被爆を体験した世代が、非体験の世代へ記憶を伝える重要性を意識したのです。中沢啓治の「はだしのゲン」、平山郁夫の「広島生変図」などもこの時期の作品です。

 ―ヒロシマの表現は今後どう展開するでしょうか。
 原爆に関しては、体験のない表現者が、やはり体験のない人々へ伝える時代を迎えつつあります。想像力で物語を紡ぐしかない。当然、表現の直接的な喚起力は50年代と比べ、弱まるでしょう。受け止める側の関心も希薄になってはいますが、若い世代を引きつける新しい表現も現れています。

 ―非核芸術の方向性は。
 被爆の記憶が遠くなる一方、福島の原発事故が起き、非核芸術にとって新たな展開の時代と言えます。核の脅威が身近なところで再び現れたわけです。ただ、原発事故の被害を表現するのは難しい。肉体の破壊が衝撃だった原爆に対し、人間関係の分断や地域社会の崩壊などの被害は目に見えにくい。芸術がどう食い込み、人々に伝わる表現をするかが問われます。

 ―表現の中心は原発ですか。
 3・11後、私たちが暮らす社会の矛盾も露呈しました。原発立地や沖縄の米軍基地など、中央のため地方が犠牲になり、弱者が踏み台にされる構造です。非核芸術は、社会が抱える問題も併せて表現するでしょう。

 ―注目の表現はありますか。
 例えばアーティスト集団Chim←Pom(チン←ポム)。手法に賛否はありますが、3・11後、いち早く福島で制作をしており、若者へのアピール力にはうならされる面も。丸木美術館も企画展を開きました。現代の非核芸術を同じ空間に並べることで「原爆の図」にも新たな命が吹き込まれると感じます。

 ―受けとめる側の意識も問われますね。
 原爆や核被害を伝える表現の肉体性が忌避されていると感じます。「はだしのゲン」などに残虐との声を聞きますが、戦争のイメージが遠ざかった証しでしょう。50年代には、惨禍を繰り返さないために悲惨な部分も積極的に表現されました。核の脅威に囲まれた現代こそ、「原爆の図」などの直接訴えかける作品や、社会構造を問う表現まで、多くの非核芸術に目を向けるべきでしょう。

おかむら・ゆきのり
 東京都立川市生まれ。東京造形大造形学部卒。同大の研究生課程を修了。01年から現職。原爆の図丸木美術館は入館料収入と友の会会費で運営する。年間入館者は約1万2千人だが、減少傾向にある。平和教育の一環で来館する児童・生徒の減少が目立つという。「非核芸術案内」は先月刊行。埼玉県川越市在住。

(2014年1月22日朝刊掲載)

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