×

社説・コラム

マーシャル諸島を取材 島田興生さんに聞く 帰島へ 米の責任重く

 マーシャル諸島の核被害を長年取材し、1月にも現地を訪れたフォトジャーナリストの島田興生さん(74)=神奈川県葉山町=に、水爆実験による「死の灰」で島を追われた元住民の現状や、帰島に向けた課題を聞いた。(藤村潤平)

 ―ロンゲラップ島の元住民の現在の暮らしは。
 かつては大半がメジャト島に住んでいたが、現在は首都マジュロや米軍基地関連の仕事があるイバイ島などに数百人ずつが生活している。メジャトでは、米国の配給に頼った生活を送る人が多い。米国が呼び掛けているロンゲラップへの帰島は、同じ人でも意向を聞くたびに答えが変わるほど微妙な問題だ。元住民の心は揺れている。

 ―米国への不信感が拭えないからですか。
 どんなに生活環境を整えられても、もし子孫に影響があったらと思うとためらうのは当然の感情だ。米国がこれまで測定した詳細なデータを住民にきちんと提供した上で、第三者が現地を調査して「問題ない」との結論が出て初めて、帰島したいとの気持ちに切り替わるのではないか。米国にはそれだけの責任がある。

 ―被曝60年の節目を迎えようとしています。
 この10年間で、当時の体験を話せる人が相当減り、記憶の風化が進んだ。日本人より平均寿命が短いこともあり、古里への思いや記憶をまだ持っている人たちの帰島をかなえるには、残された時間は少ない。放射性物質がばらまかれ、大地や海を汚したのは福島第1原発事故と変わらない。福島で起きていることや今後起こることは、マーシャルの60年間の経験と重なる。

 ―広島、長崎の被爆地は、どんな役割が期待されていますか。
 被爆の体験や被爆後の苦闘をマーシャルの人たちは知っていて、親近感や期待感を持っている。一方で、日本からの、目に見える、具体的な支援は近年途絶えている印象がある。医療支援や放射線量の測定などで貢献していくべきだ。

しまだ・こうせい
 1939年、旧南樺太(サハリン)生まれ。74年にマーシャル諸島を初めて訪れ、水爆実験の後遺症に苦しむ島民を取材。85年から6年間、首都マジュロで暮らした経験もある。著書に「還らざる楽園」、写真集に「ふるさとはポイズンの島~ビキニ被ばくとロンゲラップの人びと」などがある。

(2014年2月17日朝刊掲載)

年別アーカイブ