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社説・コラム

『潮流』 「3年後」に思う

■論説委員・岩崎誠

 3・11を前にして、井上ひさしさんの戯曲「父と暮せば」を読み返した。こちらも「あの日から3年後」を舞台にするからだ。

 原爆で生き残った若い女性が炎に消えた父の幽霊と対話し、心の葛藤を乗り越えていく物語。何度読んでも心打たれるが、主人公が恋する青年の役どころも興味深い。熱線で焼かれた瓦、ぐにゃぐにゃのガラス瓶など街にあふれる被爆資料を拾い集めている。周りに気味悪がられながら。

 暮らしの再建が緒に就き、惨状を伝え残すことにも目が向き始める―。無数の被爆証言を読み込んで筆を執った井上さんは、そんな時代の空気を表現したかったのかもしれない。

 東北の被災地の今と重ね合わさずにいられない。

 この3年の間、繰り返し足を運んでいる。ひしゃげた車、壊れた家や生活用品の残骸。最初の頃、海沿いならどこにでも見られた津波の痕跡は、訪れるたびに姿を消してきた。

 復興が進むのは喜ばしい。ただ一人一人の暮らしの記憶を刻むものが「がれき」と呼ばれ、厄介者扱いされる震災廃棄物として処分されたのは間違いない。それを思うと胸が詰まる。

 おとといの天風録でも取り上げた宮城県気仙沼市のリアス・アーク美術館では250点の「泥のついたまま」の被災資料を早い段階から収集している。被災地全体からみても、極めて貴重な動きといえよう。

 阪神大震災の資料を残そうと、兵庫県が大規模な調査を手掛けたのは5年後のこと。散逸し、現物を集めるのに苦労したと聞く。今からでも遅くはない。

 戯曲の中の青年のように身の回りの被災資料を集めている人たちもいるはずだ。広く呼び掛け、国内外を巡回させて将来の巨大地震への警鐘にする。その営みに被爆地の経験とノウハウも生かす。そんな筋書きを思い描きたくなる。

(2014年2月22日朝刊掲載)

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