×

社説・コラム

社説 ビキニ被災60年 終わり見えぬ核の被害

 核実験がもたらした甚大な被害から何を学ぶべきだろうか。中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で米国が行った水爆実験によってマグロ漁船第五福竜丸が被災してから、あすで60年を迎える。

 乗組員23人は大量の放射性降下物、「死の灰」を浴びた。無線長の久保山愛吉さんが半年後に亡くなり、ほかの乗組員もさまざまな病気に苦しんだ。

 現地住民も多数が被曝(ひばく)し、島を追われた。一部で除染作業が進んでも、多くは帰還しようとしない。残留放射能の恐怖は容易になくなるものではない。

 福島第1原発事故からもうすぐ3年。ビキニとフクシマを地続きに捉える動きが高まっている。古里から離れ、避難生活を強いられている人たちの将来と重なるからだろう。

地域と生活奪う

 放射能が奪うのは、人々の健康だけではない。日常の暮らしや地域社会の営みも一変させる。しかも終わりが見えない。

 米国の統治下、ビキニ環礁から約150キロ離れたロンゲラップ島の住民は避難勧告もないまま被曝した。実験直後の移住と帰島を経て、1985年に無人島への自主的な再移住を余儀なくされた。がんや甲状腺の異常が多発したからである。

 46~58年に米国がマーシャル諸島で行った核実験は70回近くに達した。第五福竜丸と同じ時期に、延べ千隻の日本の漁船が操業していたことも分かっている。水揚げされたマグロの放射能汚染が発覚し、日本全体がパニックに陥った。核実験反対のうねりが原水爆禁止運動に発展していった。

 だが日米両政府は、第五福竜丸が被災した翌年に米国が慰謝料を支払うことで幕引きした格好である。「原子力平和利用」に対する国民の反発を恐れ、実態にふたをしたに等しかった。

軍拡競争の産物

 マーシャル諸島の苦難は、米国と旧ソ連が核兵器の破壊力を際限なく競い合った冷戦の産物にほかならない。

 第五福竜丸を襲った水爆の威力は、広島型原爆の千倍に達した。広島と長崎は核時代の序章だった。いまや地球全体が滅亡の危機にある―。当時、誰しもおののいた。

 冷戦が過去のものとなった現在も、世界に約1万7千発の核兵器が存在する。偶発的な限定核戦争や核ミサイルの誤射は、現実のリスクであり続ける。

 それでも核保有国は、非人道的な兵器に相変わらず固執する。敵に攻撃を思いとどまらせる「抑止力」だと強弁する。

 本当にそうなのか。今は独立したマーシャル諸島共和国のロヤック大統領は先日、広島を訪れ、「核兵器を持ち続ける国はいずれ使うことが念頭にある。二度と被害者を出してはならない」と語った。何より説得力のある言葉だ。

 核兵器の開発は一切禁止する。決して使われないためには廃絶を急ぐ。それしかない。

CTBT発効を

 だが、歩みは遅々として進まない。大気圏内や宇宙空間、水中での核実験を禁止する条約は63年にできた。今度は包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効が待たれるが、米国や中国、北朝鮮など、肝心の核保有国の一部は批准しようとしない。被爆国の日本を先頭に、圧力をさらに強めるべきである。

 日本の反核・平和団体や広島、福島の学生らがあすに合わせてマーシャル諸島を訪れ、元住民を支援したり、世界の核被害地の若者が集うイベントを開く。被害の実態を学び、しっかり日本で伝えてほしい。

 ここ数年、核兵器を「非人道性」の観点から問題視する動きが国際的に高まっている。実際に起こり、今も続く被害の数々を知ることは、廃絶への機運にも当然つながる。

 旧ソ連の実験場があったカザフスタンのセミパラチンスク、米ネバダ州、フランスの旧植民地アルジェリアでの核実験なども深刻な被害をもたらしている。被爆地から、どれだけ世界のヒバクシャの現状に関心を寄せてきたか。この節目に思いを新たにしなければなるまい。

(2014年2月28日朝刊掲載)

年別アーカイブ