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社説・コラム

天風録 「ビキニから福島への道」

 60年前のきのう、第五福竜丸が南の海で「死の灰」を浴びた。その時、久保山愛吉無線長は怒鳴ったという。「飛行機か船が見えたらすぐに教えろ」▲何か秘密を知ったおれたち。見つかれば、捕まるか沈められる。皆恐怖したと元冷凍士大石又七さんの手記にある。必死ではえ縄を引き上げ、一路、静岡・焼津港へと急ぐ。「原子病」と報じられ、世論に火が付いた▲だが苦難は終わらない。「日本漁夫スパイかも知れぬとまつ先にあびせし言葉のろはれてあれ」(四賀光子)と「昭和万葉集」にある。漁師たちはおかしいと米側が言い放つ。日米政府はわずか9カ月後、見舞金という形で事を封じた▲同盟国は間もなく原子力協定を結び、やがて茨城・東海村に「原子の火」がともる。福島原発の事故の半世紀余り前。どこかで足元を見つめ直す時間はあったはずだ。この国は福竜丸もビキニも忘れたかったのだろう▲久保山さん久保山さんとわが祖母は縁者のやうに日々口にする(石本隆一)。やはり昭和万葉集に無線長の容体を気遣う歌が載る。戦場で、戦災で、身内をなくした当時の庶民の心根か。今なら福島の人たちを、すべての核被害者を、縁者だと思いたい。

(2014年3月2日朝刊掲載)

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