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社説・コラム

『潮流』 ロベルト・ユンク氏の警告

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長・宮崎智三

 ジュノー博士、シュモー氏、ハーシー記者…。復興やヒロシマの世界発信を支えてくれた海外の人は多い。ちょうど没後20年のロベルト・ユンク氏(1913~94年)も、その1人だろう。

 武器としてであれ、商業利用であれ、核エネルギーの危険性に厳しい目を向け、福島第1原発事故の後、再評価されるようになったドイツ生まれのユダヤ人ジャーナリストだ。被爆地広島には57~80年に5度訪れた。

 最初の訪問を基に執筆した「灰墟(はいきょ)の光」は10以上の言語に訳され、世界的ベストセラーとなった。原爆の子の像のモデル、佐々木禎子さんを取り上げ、禎子さんと折り鶴の話が世界に広まるきっかけをつくった人でもある。

 原爆ドームとも縁が深い。「あの丸い塔は、将来起こり得る運命への警告を発している」。59年、本紙への寄稿で守るべきだと訴えた。広島市議会が保存要望を満場一致で決議し、市が重い腰を上げるより7年も早かった。

 生誕100年の昨年、全国のドイツ史研究者らでつくるグループが、パネル展を広島の原爆資料館で開いた。再評価の展示会はことし、関西や東京、福島の被災地にも広がりそうだという。未来や本質を見通す目を、誰もが求めているのではないか。

 研究グループが主催し、広島市内で先日、長男で作家のペーターさんが講演した。原爆を落とされた日本の原発推進をユンク氏ならどう考えるだろうかと、会場から質問が飛んだ。「父には理解できないと思う。しかし矛盾していると、きちんと言うはずだ」。ペーターさんは答えた。

 目的は何であれ、危険な核物質を使う以上、厳重な管理が必要。それは住民の自由や思いを制限しかねない―。ユンク氏の指摘した問題点は今に通じる。氏に代わって警告を発し続けるのは、核の被害を知る被爆地の責務だろう。

(2014年3月6日朝刊掲載)

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