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社説・コラム

天風録 「失地回復の日」

 福島県の旧相馬藩領。この地では昭和に入っても真宗門徒がイッコシュと呼ばれたという。戦国の世に一揆で自治の国まで築いた一向宗から転じたのだろう。江戸・天明の飢饉(ききん)の後、藩は日本海岸から働き手として門徒を入植させた▲だが3年前を境に、辛苦して開いた土地も、モザイクのごとく切り分けられていく。地方紙は学校ごと、公民館ごとの環境放射線量の値を日々報じる。数字の羅列が、同じ町で住民の人生を左右する理不尽さはどうだ▲地元の僧侶の案内を得て南相馬市小高区に赴く。あそこは鳥取からの移民の子孫です―。目をやれば、今風の戸建ての街区が津波に遭ったままたたずむ。同じ市内でも原発から20キロ圏内は日中の立ち入りしかできない。むろんお寺もそうだ▲このところ、自治体によっては避難先からの帰還の目標時期を示すニュースが相次ぐ。希望は生きる力になるからだろう。相馬藩再建の相談を受けた二宮尊徳は「荒地(あれち)は荒地の力をもって開くべし」と進言したという▲復興が最も困難な小さな一つの村に十分な投資をし、次の村の開墾へ積み重ねよと。見通しも立たない町さえある未曽有の災害だが、この歴史に聞く耳を持ちたい。

(2014年3月7日朝刊掲載)

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