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社説・コラム

『書評』 いのちの危機 反核の叫び 堀場清子さんが全詩集刊行

 フェミニズムの視点から反戦、反核を訴え続けてきた詩人堀場清子さん(83)=千葉県御宿町=の「全詩集」(写真・ドメス出版)が刊行された。広島市出身で被爆者の堀場さんは、福島第1原発事故後のいまを「いのちの危機」とし、現政権による原発輸出や再稼働の動きにあらがう。全詩集に収めた事故後の作品は、無責任な権力や無関心にも映る現代社会に、むきだしの言葉を選んで警鐘を鳴らす。突き動かすのは、69年前の生き地獄だ。(森田裕美)

 「今だって原発から汚染水が漏れ続けている。核を手放さないと人類が滅びるのは自明の理なのに、みんなのんき。私は心配でたまらない」。房総半島の高台にある仕事場。堀場さんの語気は鋭い。

 全詩集刊行の話が出たのは2011年2月。ほどなくして東日本大震災が起きた。続いて原発事故も。

 全詩集には、震災後に書いた「またしてもの放射能禍」など3編を加え、1956~2013年の118編を収めた。さらに562ページに及ぶ別冊「鱗片(りんぺん)」を同時出版。当初、全詩集の末尾に原発事故について数ページ書き足すつもりだったが、筆を執ると「ヒロシマとフクシマが重なり、何かが爆発した」と言う。

 2年がかりで詳細に関連資料に当たり、人類と核の歴史を検証した。「あの日、もだえ苦しんで亡くなった人たちの叫びが私を取り巻き、休ませなかった」と振り返る。

 1945年。当時14歳の堀場さんは、広島県緑井村(現・広島市安佐南区)で医師をしていた祖父宅に疎開していた。8月6日は、病気で女学校を休んでいた。爆心地から約9キロ。不可思議な光を目にし、猛烈な衝撃を感じた。まもなく祖父の病院に負傷者が次々運ばれてきた。

 「一糸まとわぬ人、内臓がいくつも飛び出てぶら下がっている人…。もう何が何だか分からなくて」。瀕死(ひんし)の人が水を求めてうめく待合を、やかんを持って走った。メスを握れるのは祖父1人。治療が追いつかず亡くなった人たちを戸板に乗せて運んだ。2週間目に市中心部にも入った。

 翌年2月、空襲から奇跡的に焼け残った東京の自宅に。高校生の頃に詩を始めたが、広島での体験はなかなか表現できなかった。ようやく6編の原爆詩を収めたのは、被爆17年後に出した詩集「空」で。

 重傷者がひしめく病院の待合室で/細い手がのびてわたしのモンペの裾をつかんだ/<おこして……おこして からだがいたい>//爆風にうたれた少女の頭は砂利と血糊(ちのり)でかためられ/血の跡が すすけ爛(ただ)れた全裸の肉をくまどっていた/(中略)/かつて人間であった異様なもの/あえいでいる無慙(むざん)な生物が/どのように いたましかったか/どのように いたましかったか//からみつく指をふりきった/わたしの心の酷薄(「影」より)

 その後、半世紀以上にわたり、権力や権威に抵抗する詩作を続け、女性史や原爆文献の研究でも精力的に執筆してきた。ただ、「どんな才能や感受性を持つ人が再現しても、あの地獄は人間の想像力から隔てられている」。被爆の実情を伝える難しさを感じてきた。  そして、恐れていた原発事故が起こり、3年たつ今も汚染は続く。

 全詩集の最終章に収めた「『一億総懺悔(ざんげ)』の国に生きて」は、現在を敗戦後の記憶に重ねる。敗戦後、「一億総懺悔」のキャッチフレーズで、権力者の責任がうやむやにされたことを想起。なおも原発政策を進め、責任を取ろうとしない「権力」を激しく追及する。

 一方でそうした事実に向き合わずに来た一人一人に、こう迫って結ぶ。

 権力なき弱者のみが懺悔する/奇妙な社会の特殊性から/この不幸な機会に 脱却しようではないか/問うべき責任を問わず ひたすら沈黙する習性から/今こそ 自己を解き放とうではないか

 原発事故から3年。厳然とした言葉は、重く響く。

 <メモ>「堀場清子全詩集」は1万2600円、「鱗片 ヒロシマとフクシマと」は6300円、解説書「堀場清子のフェミニズム―女と戦争と」(中島美幸著)は2100円。3冊セットはケース入り。それぞれの購入も可能。ドメス出版Tel03(3811)5615。

(2014年3月8日朝刊掲載)

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