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社説・コラム

『潮流』 ヒロシマ・モナムール

■論説委員・田原直樹

 「すべて見たわ」「いや君は何も見ていない」

 被爆から十数年後の広島で出会った男女の会話を通して、人間と戦争について考えさせる映画「二十四時間の情事(原題ヒロシマ・モナムール)」。先日訃報が伝えられたアラン・レネ監督の代表作である。

 難解といわれるが、あらためて見てみると、現代まで通底する重いテーマが胸に突き刺さった。

 原爆に家族を奪われた建築家と、映画ロケに来たフランス人女性が恋に落ちる。逢瀬(おうせ)という人間的な営みの合間に、被爆地の悲惨な映像が差し込まれて進む。戦争や核の脅威は、現代人にとって遠いものではなく背中合わせなのだ、と語るように。

 劇中の女性は、原爆資料館に並ぶ写真や遺品、病院で被爆者に接したと言うが、それでも男性は広島を「分かっていない」と突き放す。それは、私たちへの問い掛けかもしれない。被爆から68年余り。原爆の悲惨を後世へ十分に伝えていけるだろうか、と。

 来週、東日本大震災と福島第1原発の事故から3年の節目を迎える。同じように自問してみる。

 汚染水流出も止められず廃炉のめどさえ立たないのに、原発再稼働に前向きな政府。一方で、今も家族離散や仮設暮らしを強いられる被災者が少なくない。ニュースなどで見聞きしているのに、もう忘れ始めてはいないか。この国の針路はこれでいいのか。

 示唆に富む映画である。

 フランス人女性には、ナチス・ドイツの兵士と交際したため、同胞に髪を刈られ、街を追われた過去がある。後半、男性に明かし、次第に分かり合っていく。

 忘れたい記憶と向き合わなければ、相手の痛みは理解できない―。そんなメッセージが読み取れるかもしれない。見終わって、今なお歴史認識が問われている国の姿を思った。

(2014年3月8日朝刊掲載)

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