×

社説・コラム

『記者縦横』 つながりを壊す放射線

■報道部・馬場洋太

 「福島原発が危ないと予感し、3月11日のうちに家族で福島県から逃げました」。2月上旬に広島市内であった、被災者を囲む会。ある男性が3年前の体験を語ると、聞いていた福島市の女性が泣き崩れた。

 震災直後の福島市内で、食料確保のため、娘を屋外の行列に並ばせたこの女性は「避難どころか、娘を被曝(ひばく)させたかもしれない」と自らを責めていた。一口に「被災者」とくくりがちだが、それぞれ違う心の傷を抱えている、と知った。

 福島県での取材では、県民同士の溝の深まりを感じた。土地の除染を早く終えて村民を帰還させたい村と、避難先での生活再建を支援してほしい村民。東京電力から賠償金をもらえる家族へのやっかみもある。放射線への不安を夫婦で共有できず、母子だけ県外避難した末に離婚―。放射線は同郷や友人、家族などあらゆるつながりを切り裂いていた。

 長引く避難による「震災関連死」は3千人以上に上るが、統一された認定基準はない。福島で会ったある被災者は言う。「福島がいいかげんな賠償で我慢すれば、前例になる。全国に原発がある以上、福島のローカルな問題ではない」と。

 片や、インターネットの大手検索サイトで「被災者」と入力すると、上位に「わがまま」「甘え」などが関連キーワードとして示される現実がある。原発が作る電気の恩恵を受けてきた都会の人間に、賠償を求める被災者を非難する資格があるとは思えない。せめて、無関心と偏見からは自由でありたい。

(2014年3月14日朝刊掲載)

年別アーカイブ