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社説・コラム

憲法 解釈変更を問う 自民党元幹事長 古賀誠さん

国民と議論 誠実さ必要

集団的自衛権は熟慮を

第九条
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 憲法の解釈を変えることで、実質的な「改憲」を目指す動きが急だ。安倍晋三首相のターゲットは、集団的自衛権が認められるか否かについて、これまで数々の議論を重ねてきた9条。日本国憲法の中で特に象徴的な条文である。憲法のありようを覆しかねないこの流れを、どうみるのか。各界の人々に聞く。

 占領下に施行された今の憲法は「押し付け憲法」といわれるが、この憲法によって今の日本の平和や繁栄があることは誰も否定できない。国内外の情勢の変化に伴って改憲を議論すべき時代だと思うが、今の憲法がうたう主権在民、平和主義、基本的人権の尊重を大事にしないといけない。

 特に、戦争の放棄を掲げる9条1項は変えてはならない。一方、国際貢献や災害時の役割を考えれば、自衛隊の位置付けを明確にする必要はあると思う。

 1980年の衆院選で初当選し、運輸相、自民党幹事長などを歴任。2012年に政界を引退し、自民党の「ハト派」勢力、宏池会(現岸田派)の名誉会長を務める。憲法解釈による集団的自衛権の行使容認へ踏み切ろうとする安倍首相に苦言を呈する。

 集団的自衛権について、歴代政権は、内閣法制局の「国際法上は保有しているが行使は許されない」との憲法解釈を基に答弁を積み上げてきた。認めるなら、まず憲法を改正するのが政治の王道。内閣法制局長官を解釈変更に前向きな人に交代させ「閣議で解釈変更後に国会で審議をどうぞ」という首相のやり方は乱暴で、誠実さに欠ける。

 それ以前に、どこまでの範囲で、どの国との間で認めるのか。まず集団的自衛権の行使の限界を決めないと。自衛隊についても同様だ。変えてはならない枠組みを決めてから議論しなければならない。「穴」は一度開くとふさぐのは難しいが、広げるのは簡単だ。考え過ぎと言われるかもしれないが、行使容認が将来の徴兵制導入や核装備の道筋を付けるかもしれない。

 平和を求める原点は、父がフィリピン・レイテ島で戦死し、苦労を背負った母の後ろ姿にある。

 あの戦争は「政治の貧困」がもたらした。政治が軍部の暴走を止めることができなかった。仮に時の政治の責任者が1945年8月15日の1年前に「戦争をやめよう」と判断していたら、広島、長崎への原爆投下はなかったし、東京大空襲も、沖縄の集団自決もなかった。一度開いた穴に政治の貧困が重なれば、また戦前の勇ましい国に戻るかもしれない。

 政府が党に対し優位に立つ「政高党低」の現状を憂う。

 首相は「坊ちゃん総理」。いい意味で、ですがね。これまでに帝王学を学んできて歴史に名を残すかもしれない。今はアベノミクスという「賭け」に勝っている。だから怖い。首相の個人的思想だけが表に出た時は自民党が抑止力になり、バランスを取らないと。今は見えない。政治の貧困さを感じる。

 首相には「急ぎ過ぎるな」と言いたい。憲法問題はじっくりと、国民と議論してほしい。そうやって時間をかける誠実さや謙虚さが必要だ。(聞き手は城戸収)

集団的自衛権 最近の流れ

 安倍晋三首相は2012年12月の政権発足後、憲法改正への意欲をたびたび表明している。改正の発議要件を緩和する96条改正を打ち出したが、世論の反発を受けてトーンダウン。その代わりに力を入れているのが、集団的自衛権の行使容認に向けた解釈変更だ。

 集団的自衛権は、密接な関係にある国が攻撃された場合、自国への攻撃とみなして実力で阻止する権利。国連憲章51条は、自国への侵害を排除する個別的自衛権とともに主権国の「固有の権利」と規定する。

 日本政府は「国際法上、集団的自衛権を有している」としながら、憲法9条の下ではその行使は「国を防衛するための必要最小限度の範囲を超える」と解釈し、禁じてきた。

 安倍首相は中国や北朝鮮を念頭に「安全保障環境の厳しさ」を繰り返し強調。行使を容認し、日米同盟強化と、米軍と自衛隊の一体化推進を図ろうとしている。

 集団的自衛権をめぐっては、安倍首相は、検討するための私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を第1次政権時代に設置。第2次政権発足に伴い13年2月に再開した。安倍首相は4月にも懇談会から報告書を受け取り、それを基に内閣法制局を中心として集団的自衛権に関する新たな政府見解をまとめる。並行して与党内協議を進める意向で、解釈変更の閣議決定を目指す。

(2014年3月25日朝刊掲載)

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