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社説・コラム

韓国の辛亨根駐広島総領事 任期振り返る 被爆2世 非核への思い深める

 韓国の辛亨根(シンヒョングン)駐広島総領事(60)が26日、任務を終えて帰国する。父は韓国原爆被害者協会の会長を務め、在外被爆者運動に生涯をささげた故辛泳洙(シンヨンス)氏。就任当初から広島ゆかりの被爆2世としても注目された。任期中の3年間を振り返っての思いを聞いた。(金崎由美)

 ―帰国を前に、何を思い起こしていますか。
 きっと父が広島に私を呼んだのだ、と運命を感じたことを覚えています。日本との間にある不幸な歴史を乗り越え、平和を促進する役割を与えられたという意識を常に持ってきました。

 個人的には父の支援者や友人を通して、広島での足跡をたどったことの意義を感じています。胡町電停(広島市中区)に立ち、この辺りで被爆した父の苦難や、犠牲になった大勢の人たちを思いました。被爆の痕跡が至る所に残る市内を歩きながら、非核への思いも深めた3年間でした。

 ―総領事としてどんな役割を心掛けてきましたか。
 地域との友好交流は重要な任務の一つ。主催行事などを通し韓国を知ってもらうことに心を砕きました。

 その一つが私自身も参加し、フラワーフェスティバル(FF)などで再現した朝鮮通信使の行列です。朝鮮通信使そのものが古くからの韓日友好の象徴。少しでも市民に近づけたのではないかと思っています。

 ―とはいえこの間、日韓関係は「最悪」といわれるまでになりました。広島からどうみてきましたか。
 政府間関係が冷え込み、市民レベルではヘイトスピーチが問題となったり、広島市内でも「嫌韓」を語る本が並んだりしています。憂慮すべき状況である一方、「このままではいけない」という世論が日本で盛り上がっていることにも目を向けるべきでしょう。

 こんなときこそ、地域レベルの交流を継続させることに意義があります。「嫌韓」も、韓国人と触れ合い友人となる機会があれば解決できるはずです。

 ―今後の予定は。
 かねて日本からの韓国人被爆者支援の歴史をテーマにした論文を執筆しており、広島大で博士号を取得するのが目標です。その後は大学で教壇に立ちながら、日本、中国とわが国の3カ国を結んだ地域交流に貢献したい。

 下関市からフェリーで釜山に渡って帰国します。戦後、被爆した韓国人が帰郷した際の苦難の航路をたどりながら、今後も広島とつながっていく決意を新たにしたいと思っています。

(2014年3月26日朝刊掲載)

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